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男の「好きなタイプ」とは何なのか?フェチと記憶が作るスケベな履歴書

男の「好きなタイプ」とは何なのか?フェチと記憶が作るスケベな履歴書

男は、女の好みを語るのが好きだ。

「俺、黒髪が好きなんだよね」
「ショートカットに弱い」
「清楚系がいい」
「ギャルは苦手とか言いつつ、実はちょっと好き」
「むっちりしてる子が刺さる」
「年上のお姉さん系に弱い」
「顔は派手じゃなくていいんだけど、雰囲気がエロい子が好き」

まるで自分が、女性の魅力を冷静に分析できる鑑定士であるかのように語る。

だが、実際はかなり怪しい。

男の言う「好きなタイプ」は、
本当に女性そのものを見ているのか。

それとも、初恋、昔好きだった女、AV、
匂い、声、服装、触れられなかった距離、
学生時代の未練、妙に忘れられない仕草。

そういうものを、目の前の女性に勝手に重ねているだけではないのか。

男の“好きなタイプ”は、女の説明ではない。
だいたいの場合、男自身の性癖の自己紹介である。

男の「好きなタイプ」は、わりと信用できない

男は自分の好みを分かっているつもりでいる。

「俺は清楚系が好き」
「派手な子はちょっと違う」
「年下が好き」
「細い子が好き」
「顔は可愛い系がいい」

などと、いかにも自分の中に明確な基準があるように語る。

しかし、いざ目の前に“タイプ外”の女性が現れると、あっさり崩れる。

清楚系が好きと言っていた男が、
明るいギャルっぽい女性に笑顔で話しかけられただけで浮かれる。

年下が好きと言っていた男が、
年上女性の余裕ある一言で骨抜きになる。

細い子が好きと言っていた男が、
柔らかそうな肉感に目を奪われる。

顔は可愛い系がいいと言っていた男が、
低い声と流し目だけで妙に意識してしまう。

男の“タイプ”など、その程度である。

もちろん、嘘をついているわけではない。
本人は本気でそう思っている。
だが、その「好きなタイプ」は、欲望の設計図ではない。
あとから自分を納得させるための説明書である。

男は、まず惹かれる。
そのあとで理由を探す。

「たぶん俺、こういうタイプが好きなんだな」と、あとからラベルを貼る。
そして次から、そのラベルを自分の好みだと思い込む。

だから男のタイプは、わりと信用できない。

本人が一番、分かっていないことすらある。

男の脳内には“女体分類システム”がある。ただし精度は低い

男の脳内には、勝手な分類システムがある。

清楚系。
ギャル系。
お姉さん系。
人妻系。
童顔。
むっちり。
スレンダー。
黒髪。
メガネ。
脚。
胸。
尻。
声。
匂い。
仕草。
制服。
タイトスカート。
うなじ。
少し低い声。
笑ったときの目尻。

恐ろしいほど雑である。

現実の女性は、そんな単純なタグでできていない。
清楚に見えて毒がある人もいる。
派手に見えて繊細な人もいる。
お姉さんっぽく見えて甘えたがりの人もいる。
童顔だから幼いわけでもない。
人妻っぽいから包容力があるわけでもない。

だが、男の脳はそこまで丁寧に待ってくれない。
見た瞬間に、勝手にタグを貼る。

「これは清楚系」
「これはお姉さん系」
「これは甘えたい系」
「これは背徳感がある系」
「これは昔どこかで見たことがある系」

まったく失礼な話である。

ただし、ここで言いたいのは
「女性は分類できる」という話ではない。

逆だ。

男が勝手に分類してしまう愚かさの話である。

男の脳内女体分類システムは、高性能AIではない。
欲望でできた、精度の低いタグ管理システムである。

しかも、学習データが偏っている。

初恋。
元カノ。
AV。
SNS。
昔見たグラビア。
学校にいた妙に色っぽい先輩。
電車で一度だけ見かけた忘れられない女性。
夜の店で優しくしてくれた女の子。

その断片を勝手につなぎ合わせて、
「俺はこういう女が好き」と言っている。

信用してはいけない。
それは女性の真実ではない。
男の欲望が貼った、雑なラベルである。

男は女を分類しているつもりで、自分の妄想に名前をつけている

「清楚系が好き」と男は言う。

しかし、その言葉の中には、
すでに妄想が混ざっている。

清楚系と言いながら、男は勝手に
「純粋そう」
「恥じらいがありそう」
「自分だけに心を開いてくれそう」
などと、余計な物語を足している。

「お姉さん系が好き」と言う男は、たぶん甘えたい。
「年上が好き」と言う男は、包まれたいのかもしれない。
「人妻っぽい人が好き」と言う男は、
背徳感と包容力を勝手にセットにしている。
「ギャル系が好き」と言う男は、
明るくてノリが良くて、
自分のつまらなさまで笑い飛ばしてくれると期待しているのかもしれない。

女性本人は、何も言っていない。
ただそこにいるだけだ。

なのに男は、勝手に配役する。

清楚。
小悪魔。
姉。
母性。
癒し。
背徳。
征服。
救済。

まるで脳内劇場のキャスティング会議である。

男は女を分類しているつもりで、
自分の妄想に名前をつけているだけである。

これが実に愚かだ。

しかし、愚かだからこそ面白い。

男は女性を見ているようで、
自分がどんな妄想をしたいのかを見ている。
どんな役を演じたいのかを見ている。
甘えたいのか。
振り回されたいのか。
守りたいのか。
叱られたいのか。
癒されたいのか。
背徳感を味わいたいのか。

「好きなタイプ」とは、女性の話に見えて、
実は男の脳内劇場の話なのだ。

美人なのに刺さらない。普通なのに妙にエロい

世の中には、美人なのに刺さらない女性がいる。

整っている。
綺麗だ。
スタイルもいい。
誰が見ても魅力的である。

それなのに、自分の中では何も鳴らない。
「綺麗だな」とは思う。
だが、それ以上の熱が起きない。

一方で、顔立ちだけ見れば普通なのに、妙にエロい女性がいる。

なぜか目で追ってしまう。
声が残る。
笑い方が妙に引っかかる。
歩き方、座り方、髪を触る仕草、
服の隙間、少し低い声、近づいたときの匂い。
そのどれかが、妙に自分の中の変な場所を押してくる。

あれは何なのか。

おそらく、一般的な美しさと、
個人のフェチは別物なのだ。

美人は、多くの人に分かりやすい魅力を持っている。
しかしフェチは、自分だけの記憶に刺さる。

美人は目に入る。
フェチは記憶を殴ってくる。

だから、誰もが認める美女よりも、
自分の過去のどこかにあるスイッチを押してしまう女性に負けることがある。

それは顔の造形だけではない。
声かもしれない。
匂いかもしれない。
体型かもしれない。
仕草かもしれない。
服装かもしれない。
目つきかもしれない。
距離感かもしれない。

男は、目の前の女性に反応しているようで、
実は過去のどこかに保存された興奮の断片に反応している。

だから厄介である。
だから説明できない。
だから「なんか妙にエロい」という、
最低で最高に雑な言葉が出てくる。

フェチは記憶の地図、好みはスケベな履歴書である

フェチは、ある日突然、天から降ってくるものではない。

もちろん、生まれつきの感受性や性質もあるだろう。
だが多くの場合、そこには記憶が絡む。

思春期に見た何か。
初めて身体を意識した瞬間。
忘れられない匂い。
目が合ったときの温度。
制服。
髪型。
脚。
声。
肌。
触れられそうで触れられなかった距離。
見てはいけないものを見てしまったような背徳感。

そういうものが快感と結びつき、どこかに残る。
そして後になって、別の女性を見た瞬間に、ふいに起動する。

「あ、これだ」と思う。

しかし、その「これ」は今目の前にあるものだけではない。
過去から続いている。

男の好みとは、フェチと記憶で作られたスケベな履歴書である。

そこには学歴も職歴もない。
あるのは、いつ、どこで、何にドキッとしたかという、
極めて個人的で、しょうもなく、しかし本人にとっては重要な記録だ。

初恋の髪型。
元カノの匂い。
昔見た映像の構図。
学生時代に話しかけられなかった女の子の制服姿。
夜の店で一度だけ言われた甘い言葉。
触れられなかった太もも。
忘れられない声。

そういうものが、男の中で履歴書になっている。

だから「好きなタイプ」は綺麗な言葉だが、
実態はもっと湿っている。

もっと未練がましい。
もっとスケベである。

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「ショートカットが好き」ではない。ショートカットだった“あの子”が成仏していない

男が言う。

「俺、ショートカットの子が好きなんだよね」

本当にショートカットという髪型そのものが好きなのか。
もちろん、そういう場合もある。

だが、ときどき違う。

ショートカットだった“あの子”が、
まだ成仏していないだけかもしれない。

中学のとき好きだった子。
高校で隣の席だった子。
部活のマネージャー。
バイト先の先輩。
大学のサークルにいた、妙に距離の近い女の子。
一度だけ目が合って笑ってくれた、名前も知らない人。

その記憶が、髪型に宿っている。

黒髪が好き。
それは初恋の子が黒髪だったからかもしれない。

メガネが好き。
それは昔見た女性教師の記憶かもしれない。

年上が好き。
それは甘えたかった記憶かもしれない。

むっちりが好き。
それは初めて「女の身体」を意識した瞬間の名残かもしれない。

人妻っぽい雰囲気が好き。
それは背徳感だけではなく、許されたい、包まれたい、
だらしない自分を受け入れてほしいという願望かもしれない。

男は「髪型が好き」「体型が好き」「雰囲気が好き」と言う。
だが、その奥にはたいてい誰かがいる。

あるいは、誰かになれなかった記憶がある。
手に入らなかったもの。
言えなかった言葉。
触れられなかった距離。
いまだに少し疼く未練。

だから男の好みは面倒くさい。

ただの髪型に、勝手に青春の亡霊を住まわせる。
ただの服装に、勝手に過去の興奮を投影する。

まったく勝手である。
しかし、男とはそういう生き物だ。

男は女性を見ているようで、自分の過去を検索している

男が女性を見る。

その瞬間、目の前の女性だけを見ているとは限らない。

男の脳内では、いろいろなフォルダが開く。

初恋フォルダ。
元カノフォルダ。
AVフォルダ。
届かなかった女フォルダ。
昔、妙に興奮したけど理由が分からないフォルダ。
母性に甘えたいフォルダ。
背徳感フォルダ。
清楚を脱がせたいフォルダ。
年上に叱られたいフォルダ。
学生時代の後悔を回収したいフォルダ。

実にろくでもないデータベースである。

男は女性を見ているようで、
自分の過去を検索している。
目の前の女性が、その検索結果に引っかかったとき、
男は「タイプだ」と思う。

だがそれは、その女性のすべてを理解したわけではない。
自分の履歴と、たまたま一致しただけである。

だから男の「タイプ」は、自分本位だ。
勝手だ。
相手の人格より先に、自分の記憶との一致を見ている。

それでも男は言う。

「なんかタイプなんだよね」

その“なんか”の中に、
初恋もAVも未練も妄想も、全部ぐちゃぐちゃに入っている。

男の好みとは、女性を評価する目ではない。
自分の記憶を再生する検索窓である。

男の“好きな女”は、脳内劇場のヒロインである

男の好みは、見た目だけで決まらない。

「こういう女性と、どういう物語を演じたいか」
そこまで含まれている。

甘えたい女。
叱られたい女。
癒されたい女。
振り回されたい女。
守りたい女。
征服したい女。
背徳感を味わいたい女。
清楚を脱がせたい女。
母性に包まれたい女。
学生時代の後悔を回収させてくれる女。

ここまで来ると、もう女性の話ではない。
男の脳内劇場の話である。

男は「俺はこういう女が好き」と言いながら、
実はこう言っているのかもしれない。

「俺はこういう役を演じたい」
「俺はこういうふうに欲情したい」
「俺はこういうふうに救われたい」
「俺はこういうふうに甘やかされたい」
「俺はこういうふうに自分を男だと思いたい」

なんとも身勝手である。

目の前の女性は、男の脳内劇場の
ヒロインになるために存在しているわけではない。
しかし男は、勝手に配役する。

ひどい話である。
だが、それが男の欲望の仕組みでもある。

男が語る“好きな女”は、
男の脳内劇場に都合よく配役されたヒロインである。

そして、その劇場の脚本はたいてい雑だ。
だが本人だけは、なぜか名作だと思っている。

「顔が好き」は、顔そのものが好きとは限らない

男はよく言う。

「顔がタイプ」
「顔が好き」
「めちゃくちゃ好みの顔」

ずいぶん雑な表現である。

もちろん、顔の造形が好きなこともある。
目の形、鼻筋、口元、輪郭、バランス。
そういう美的な好みは確かにある。

だが、男の「顔が好き」は、それだけではない。

その顔に浮かぶ表情が好きなのかもしれない。
あるいは、笑ったときの目元、話すときの口元、
ふと黙った瞬間の冷たい目つきに刺さっているのかもしれない。

さらに言えば、その顔が呼び出す妄想が好きなのかもしれない。

「この顔で冷たくされたらたまらない」
「この顔で甘えられたら終わる」
「この顔で見下されたら刺さる」
「この顔で恥ずかしそうに笑われたら負ける」

もはや顔の話ではない。

男の「顔が好き」は、正確には
“その顔を見たときに自分の中で再生される妄想が好き”である。

本当にしょうもない。
しかし、かなり本質に近いのではないだろうか。

AVとSNSとアルゴリズムが、男の好みを育ててしまう

昔の男の好みは、学校、職場、街ですれ違った女性、
雑誌、テレビ、AV、初恋、元カノなどで作られていた。

もちろん、それだけでも十分に厄介だった。

だが現代は、さらにややこしい。

SNSとアルゴリズムがある。

一度クリックする。
似た動画が出る。
似た体型、似た服装、似たシチュエーション、
似た表情、似た女優、似たジャンルが表示される。

また見る。
また出る。
また見る。

そのうち男は思う。

「やっぱり俺はこれが好きなんだ」

だが、それは本当に元からの好みなのか。
それとも、おすすめ欄に育てられた欲望なのか。

現代の男の好みは、初恋だけでなく、おすすめ欄にも育てられている。

AVやSNSの刺激は、現実よりも分かりやすく、濃く、誇張されている。
身体も、表情も、シチュエーションも、欲望に合わせて加工されている。

そういうものを浴び続けると、男の脳内分類システムはさらに偏る。

「この体型が好き」
「このシチュエーションが刺さる」
「このジャンルじゃないと来ない」

そうやって、好みは狭く、濃く、奇妙に育つ。

それ自体をすべて悪と決めつける必要はない。
欲望は環境に影響される。
ただ、それを“純粋な自分の好み”だと思い込みすぎると、少し危うい。

男は自分で選んでいるつもりで、
選ばされていることもある。
自分のフェチだと思っていたものが、
実はレコメンドに飼いならされた性癖だった。

そう考えると、なかなかぞっとする。

そして、少し笑える。

男は“好み”を語りながら、実は自分の欠落を語っている

男の好みには、欠落が現れる。

年上好きは、甘えたい願望かもしれない。
清楚好きは、自分の汚れを浄化したい願望かもしれない。
ギャル好きは、自分にない明るさへの憧れかもしれない。
人妻好きは、背徳感だけでなく、包容力への渇きかもしれない。
小柄好きは、守りたい願望かもしれない。
お姉さん好きは、叱られたい願望かもしれない。
声フェチは、耳から安心したいのかもしれない。
脚フェチは、どこか遠ざかるものを追いかけたいのかもしれない。

もちろん、全部を心理分析で決めつけるのは野暮だ。
欲望はもっといい加減で、もっと身体的で、もっと理由がない。

だが、それでも好みには、
その男の欠けている部分がにじむことがある。

男は「こういう女が好き」と言いながら、実はこう漏らしている。

「俺はこういうふうに満たされたい」
「俺はこういうふうに認められたい」
「俺はこういうふうに救われたい」
「俺はこういうふうに興奮したい」
「俺はこういうふうに、まだ男でいたい」

そう考えると、「好きなタイプ」は単なるスケベ話ではない。
その男が何に飢えていて、どんなふうに満たされたいのかが、
うっすら漏れてしまう告白でもある。

つまり男の“好きな女のタイプ”には、
欲望だけでなく、本人もあまり見たくない欠落まで混ざっている。

だから恥ずかしい。
だから深い。
だから、少し哀れである。

それでも男は「俺はこういう女が好き」と言いたい

男は、好みを語りたがる。

なぜか。

自分の欲望に名前をつけたいからだ。

本当は、もっとぐちゃぐちゃしている。
初恋、AV、元カノ、未練、匂い、声、
服装、肌、妄想、検索履歴、
学生時代の後悔、夜の店の記憶。
それらが複雑に絡み合っている。

しかし、それを全部説明するのは面倒くさい。
恥ずかしい。
自分でも分からない。

だから男は、雑にまとめる。

「ショートカットが好き」
「黒髪が好き」
「むっちりが好き」
「お姉さん系が好き」

便利である。
だが、雑すぎる。

男は複雑な欲望を、
だいたい髪型と体型で雑に説明しようとする。

そこが愚かだ。
そして、少し愛嬌がある。

本当は「ショートカットが好き」ではなく、
ショートカットだった誰かの記憶が残っているのかもしれない。

本当は「むっちりが好き」ではなく、
柔らかさに許されたいのかもしれない。

本当は「お姉さん系が好き」ではなく、
もう頑張らなくていいと言われたいのかもしれない。

だが男は、そこまで自分を掘らない。

掘ると恥ずかしいからだ。

だから今日も、男は言う。

「俺、こういうタイプ好きなんだよね」

その一言で、自分の性癖の沼にフタをする。

女体分類システムに必要なのは、精度ではなく自覚である

男に好みがあるのは自然だ。
フェチがあるのも自然だ。
女性を見てドキッとするのも自然だ。
声や匂いや服装に反応するのも自然だ。

問題は、その分類を女性の真実だと思い込むことである。

「こういう女はこう」
「清楚系はこう」
「ギャルはこう」
「人妻っぽい女はこう」
「むっちり系はこう」

そう決めつけた瞬間、男はかなり野暮になる。

女体分類システムに必要なのは、
アップデートではない。

まず“これは女性の真実ではなく、
俺の欲望のクセである”
と気づくことだ。

好みは、女性の評価表ではない。
自分の欲望の癖である。

そこを分かっていれば、まだ笑える。
「俺、また勝手に分類してるな」
「また自分の妄想を乗せてるな」
「また過去の記憶に反応してるな」

そう思えれば、男のスケベさにも少し距離が生まれる。

逆に、それを自覚できない男は危ない。

自分の好みを絶対の基準だと思い込む。
女性をタグでしか見なくなる。
自分の妄想を相手に押しつける。
そして、相手がその妄想どおりに振る舞わないと勝手にがっかりする。

それはもう、好みではない。
ただの身勝手である。

結局、男の「好きなタイプ」とは何なのか

男の好きなタイプとは、美の基準ではない。
女性を正確に分類する能力でもない。

それは、過去に興奮した瞬間のスクラップブックである。
初恋の亡霊である。
AVの残像である。
匂いや声の記憶である。
未練である。
妄想である。
アルゴリズムに育てられた癖である。
自分でもよく分かっていない欠落である。

つまり、男のタイプとは、女の分類ではない。
男の欲望の自画像である。

男が「こういう女が好き」と言うとき、
そこにはその男が何に弱く、何に救われたくて、
何を見て興奮し、何を忘れられず、
どんな妄想にしがみついてきたかが出ている。

それは美しいものではない。
かなり雑だ。
勝手だ。
スケベだ。
都合がいい。

だが、だからこそ面白い。

男の“好きな女のタイプ”とは、女の説明ではない。
男がどんな記憶に縛られ、どんな妄想に救われ、
どんなフェチに負けてきたかを記した、
スケベな履歴書である。

男は今日も、女性を見ながら自分の妄想を見ている

男は女性を見ているつもりでいる。

だが実際には、過去の記憶を見ている。
初恋の残像を見ている。
AVのワンシーンを見ている。
届かなかった女を見ている。
甘えたかった自分を見ている。
触れたかったのに触れられなかった距離を見ている。

そして、それを「タイプ」と呼んでいる。

まったく勝手な生き物である。

しかし、その勝手さの中に、
男のスケベで哀れで愛すべき愚かさがある。

美人なのに刺さらない。
普通なのに妙にエロい。
タイプじゃないはずなのに気になる。
苦手なはずなのに目で追ってしまう。

そのたびに男は、自分の好みがいかに信用ならないかを思い知る。
そしてまた、もっともらしい顔で言う。

「俺、こういうタイプが好きなんだよね」

違う。
たぶんそれは、女性の説明ではない。

お前の記憶が疼いているだけだ。
お前のフェチが反応しているだけだ。
お前の脳内劇場が、勝手に開演しただけだ。

男は女を見ているようで、自分の記憶を見ている。
そしてその記憶が少し疼いたとき、男はそれを“タイプ”と呼ぶ。

本当に愚かである。
本当に勝手である。
本当にスケベである。

だが、そのどうしようもなさこそ、
男という生き物の面白さなのかもしれない。

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