目次
猫には発情期がある。
時期が来ると、やたらと鳴く。
体をこすりつける。落ち着きがなくなる。
いつもとは違うテンションで異性を求める。
飼い主から見ても「あ、これはそういう時期なんだな」とわかるくらい、行動が変わる。
鹿にも繁殖期がある。
馬や羊、ヤギにも繁殖に向いた季節がある。
野生動物の世界では、性欲はただの気まぐれではなく、
季節や環境と結びついたかなり真面目なシステムだ。
では、人間はどうなのか。
人間にも発情期はあるのか。
少なくとも男の場合、春夏秋冬どころか、
昼でも夜でも、仕事終わりでも休日でも、
スマホの画面ひとつで急に“その気”になることがある。
さっきまでラーメンのことを考えていた。
明日の仕事のことを考えていた。
コンビニで何を買うか考えていた。
それなのに、ふと目に入った画像、胸元、脚、
声、匂い、過去の記憶、何気ない一言で、脳内の空気が一瞬で変わる。
「いや、今そんな気分じゃなかっただろ」と自分でも思う。
でも、もう遅い。
スイッチは入っている。
猫のように大声で鳴くわけではない。
鹿のように角をぶつけ合うわけでもない。
だが、男の頭の中では、誰にも知られず、
突然の繁殖期が始まっている。
これは発情期なのか。
それとも、人間という動物が少しおかしいのか。
動物の発情期と人間の性欲を比べていくと、
人間の性の奇妙さが見えてくる。
人間は発情期を失ったのか。
それとも、発情期を年中無休にしてしまったのか。
そして、年がら年中ムラムラできるというのは、
果たして幸せなことなのか。
そもそも発情期とは何か
発情期という言葉は、なんとなく
「動物がムラムラする時期」というイメージで使われがちだ。
ただ、動物にとっての発情期は、
そんなに軽いものではない。
もっと生々しく、もっと合理的な仕組みだ。
発情期とは、簡単に言えば、
繁殖に向いた時期に性行動が高まりやすくなる期間のこと。
多くの哺乳類では、メスの排卵や妊娠しやすいタイミングと、
性的に受け入れやすい状態がかなり強く結びついている。
つまり、発情期は「なんかエロい気分」ではなく、
「今なら子孫を残すチャンスが高い」という身体の本気モードだ。
しかも、そのタイミングはかなり計算されている。
野生で子どもを産むなら、いつでもいいわけではない。
食べ物が少ない季節に生まれてしまえば、母親も子どもも厳しい。
寒すぎる時期、暑すぎる時期、雨が少なすぎる時期も不利になる。
だから多くの動物は、子どもが生き残りやすい季節に出産が重なるように、
繁殖のタイミングを調整している。
日照時間、気温、食料、水、雨季、母体の栄養状態。
そうした環境の変化を身体が読み取って、
「そろそろ繁殖の準備をしろ」とスイッチを入れる。
動物の発情期は、自然が身体に書き込んだ繁殖カレンダーなのだ。
人間の男が深夜にスマホを見てムラムラするのとは、だいぶ話が違う。
動物の発情は、もっと切実で、もっと自然に根ざしている。
猫や鹿は季節に動かされる
発情期のわかりやすい例が猫だ。
猫は発情期になると、行動がかなり変わる。
鳴き声が増える。甘える。体をこすりつける。
落ち着きがなくなる。いつもより外に出たがる。
飼っている人なら「あ、いつもと違う」と感じるはずだ。
猫の発情には日照時間も関係している。
明るい時間が長くなると繁殖に向けた身体の準備が進みやすい。
つまり猫は、季節の光に揺さぶられている。
鹿もわかりやすい。
繁殖期になると、オスはメスをめぐって
争ったり、アピールしたりする。
普段より攻撃的になり、まさに繁殖のための本気モードに入る。
馬、羊、ヤギなどにも、繁殖に向いた季節がある。
長日繁殖、短日繁殖といった分類もあり、
日が長くなることで繁殖しやすくなる動物もいれば、
逆に日が短くなることで繁殖期に入る動物もいる。
ここで大事なのは、動物の発情期は
“性欲の暴走”ではないということだ。
むしろ、生き残るための精密な調整に近い。
子どもが生まれる時期。
母親が食べ物を得やすい時期。
外敵や寒さに耐えやすい時期。
成長に必要な環境が整う時期。
そういう条件に合わせて、
身体が繁殖のスケジュールを組んでいる。
動物は、ただムラムラしているのではない。
自然に合わせて、身体が繁殖モードへ入っているのだ。
では、人間はどうか。
人間の男がムラムラする時、
そこに季節の合理性はあるだろうか。
もちろん、春になって薄着が増えたから気分が高まる、
夏の開放感でソワソワする、
冬の寂しさで人肌が恋しくなる、ということはある。
だが、それは猫や鹿のような明確な発情期とはかなり違う。
人間の場合、発情のきっかけはもっと雑多だ。
季節。
暇。
孤独。
視覚刺激。
妄想。
広告。
SNS。
酒。
深夜。
なんとなくの寂しさ。
自然のカレンダーというより、
脳と文化と欲望が勝手に作るカレンダーで動いている。
人間に発情期はあるのか
では、本題だ。
人間に発情期はあるのか。
結論から言えば、猫や鹿のような意味での
明確な発情期は、人間にはほぼない。
人間は、特定の季節だけ性行動をする動物ではない。
女性は排卵期以外でも性的関係を持つことができる。
男性も、春だけ、秋だけ、雨季だけに性欲が高まるわけではない。
人間は一年中、性行動が可能な動物だ。
この時点で、かなり変わっている。
多くの動物にとって、性行動は
繁殖タイミングと強く結びついている。
メスが受け入れ可能な時期が限られ、
オスはそのサインに反応する。
繁殖できる時期と、性的な行動が起こる時期がかなり近い。
ところが人間は違う。
妊娠しやすい時期でなくても性行動をする。
妊娠を目的にしなくても性行動をする。
そもそも妊娠の可能性がない状況でも性的に興奮する。
相手が目の前にいなくても興奮する。
映像でも、文字でも、妄想でも、記憶でも興奮する。
これは、動物の発情期から見るとかなり妙なことだ。
猫や鹿にとって発情期が
「繁殖のための期間限定イベント」だとすれば、
人間の発情は常設売り場のようなものだ。
いつでも開いている。
しかも、買う気がなかった客まで、
ふらっと吸い込まれてしまう。
人間は発情期を失ったのではない。
発情を、薄く、長く、年中営業にしてしまったのかもしれない。
人間の性は繁殖からはみ出している
人間の性のややこしさは、
性行動が繁殖だけでは説明できないところにある。
もちろん、性は生殖と関係している。
子孫を残すという意味では、他の動物と同じだ。
だが、人間の性はそこから大きくはみ出している。
快楽のため。
親密さのため。
安心感のため。
恋人や夫婦の関係を保つため。
寂しさを埋めるため。
自分が求められていると感じるため。
気持ちを切り替えるため。
ただムラムラしたから。
人間の性は、繁殖という本来の目的を超えて、
関係性や感情や娯楽の領域にまで広がっている。
ここが人間の面白いところであり、面倒なところでもある。
動物の発情期は、ある意味でわかりやすい。
時期が来る。
身体が変わる。
相手を求める。
繁殖する。
目的は明確だ。
しかし人間の場合、そこに恋愛が絡む。
プライドが絡む。
嫉妬が絡む。
孤独が絡む。
金が絡む。
道徳が絡む。
妄想が絡む。
スマホの検索履歴まで絡む。
性が繁殖だけに閉じていれば、たぶんもっとシンプルだった。
だが人間は、性を生きることのあちこちにばらまいてしまった。
その結果、ただ子どもを作るだけではなく、
誰かを求めたり、誰かに求められたり、触れ合って安心したり、
たまには欲望だけを切り離して楽しんだりするようになった。
人間の性は、繁殖からこぼれ落ちた余白で、
やたらと大きく育ってしまったのだ。
排卵が見えにくい人間
人間の発情期を考えるうえで、重要なのが
「排卵が外からわかりにくい」という特徴だ。
動物の中には、メスの発情や排卵のタイミングが
外からわかりやすいものがいる。
身体の変化や匂い、行動の変化によって、
オスが「今だ」と判断しやすい。
しかし人間の女性は、排卵しているタイミングが
外見からはっきりわかるわけではない。
少なくとも、他の一部の霊長類のように、
誰が見ても明確なサインを出すわけではない。
この「わかりにくさ」は、
人間の性をかなり特殊なものにしている。
もし排卵期が外から丸わかりで、
その時期だけ性行動が集中するなら、
人間の性はもっと動物的な発情期に近かったかもしれない。
しかし実際には、人間の性行動は
妊娠しやすい数日間だけに限定されていない。
排卵期以外でも性的関係を持つ。
妊娠を目的にしないセックスもある。
快楽や親密さや関係維持のための性もある。
もちろん、この特徴がなぜ進化したのかについては、いろいろな見方がある。
ペア関係を保つためだったのではないか。
父親の養育参加と関係したのではないか。
オス同士の競争をやわらげる役割があったのではないか。
性が関係性をつなぐ道具になったのではないか。
どれか一つで完全に説明できる話ではない。
進化の話は、断定しすぎると危うい。
ただ一つ言えるのは、人間の性は、
妊娠できる瞬間だけに閉じ込められていないということだ。
動物の発情期が「今が繁殖チャンスです」という看板を
身体に出す仕組みだとすれば、
人間はその看板がかなり見えにくい。
看板が見えにくくなったぶん、
性は特定の数日間から外へ広がった。
そして、生活の中へ、関係の中へ、
快楽の中へ、妄想の中へと入り込んでいった。
それでも身体には“発情のさざ波”がある
ここで気をつけたいのは、
「人間には発情期がない」と言い切って終わると、少し雑になることだ。
人間には、猫や鹿のような明確な発情期はない。
だが、性欲や性的関心に波がないわけではない。
女性の場合、排卵周期によって
性的関心や好みが変わる可能性は研究されている。
排卵期付近に性的な関心が高まりやすい人もいれば、そうでもない人もいる。
個人差も大きく、心理状態や関係性にも左右される。
男性の性欲も、いつも一定ではない。
年齢、体調、疲労、ストレス、睡眠、
ホルモン、メンタル、相手との関係、生活環境。
さまざまな要素で上下する。
つまり、人間には動物のような
大きくはっきりした発情期はないが、身体の奥には小さな波がある。
それは季節の大波ではなく、日常に混ざったさざ波だ。
体調がいい日。
気分が開放的な日。
妙に人肌が恋しい夜。
忙しさが落ち着いた休日。
少し酒が入った帰り道。
スマホを見ていたら、ふとエロい広告が目に入った瞬間。
そういう細かなきっかけで、性欲は揺れる。
人間の発情は、発情期という巨大な波ではなく、
生活のあちこちで起こる小さな波の集まりなのかもしれない。
なぜ男は一瞬でムラムラするのか
今回のテーマで、やはり避けて通れないのが男の発情スイッチだ。
男は本当に、切り替わりが早い。
もちろん、すべての男性が同じではない。
性欲が強い人もいれば弱い人もいる。
年齢や体調でも変わる。
ストレスが強ければ性欲どころではない日もある。
それでも、多くの男性には思い当たるはずだ。
さっきまでまったくそんな気分ではなかったのに、
視覚的な刺激ひとつで急にムラムラする。
画面の中の画像。
街ですれ違った女性の雰囲気。
胸元。
脚。
声。
香り。
服のライン。
過去の記憶。
何気ない妄想。
その一瞬で、意識の向きが変わる。
性的興奮は、単に股間だけの話ではない。
目で見た情報が脳に入り、注意が引っ張られ、
記憶や妄想が動き、快感や報酬に関わる回路が反応し、身体がそれに続く。
つまり男のムラムラは、かなり脳のイベントでもある。
「男は視覚で興奮しやすい」とよく言われる。
これは雑に言い切ると危ないが、
男性が視覚的な性的刺激に反応しやすい傾向があるのは、かなり納得しやすい話だ。
なにしろ、スイッチが多すぎる。
スマホのサムネイル。
SNSのおすすめ画像。
広告のモデル。
動画のワンシーン。
夜の街の看板。
ふとした胸元。
記憶の中の誰か。
妄想の中のシチュエーション。
どこにでも発情ボタンがある。
鹿は季節を待つ。
猫は日照時間に揺さぶられる。
しかし人間の男は、サムネイル一枚で春になる。
男の発情期は、カレンダーではなく画面の中にあるのだ。
直前まで普通だったのに急にエロい
男の発情スイッチの面白さは、
オンになるまでの落差にある。
ずっとエロいわけではない。
一日中、性のことだけを考えているわけでもない。
仕事をしている。
飯のことを考えている。
眠いと思っている。
ゲームをしている。
ニュースを見ている。
今日の予定を確認している。
ごく普通に生きている。
ところが、何かの刺激が入った瞬間、
急に脳内の部屋の照明が変わる。
さっきまで会議室だった場所が、
いきなり薄暗いラウンジになる。
さっきまで昼定食だった頭の中に、
急に夜の匂いが立ち込める。
この切り替わりの速さが滑稽だ。
自分でも「なんで今?」と思う。
だが、身体と脳はもう勝手に動き始めている。
人間の男は、発情期がない代わりに、
無数の小さな発情ボタンを持っている。
街にもある。
スマホにもある。
記憶にもある。
妄想にもある。
暇な夜にもある。
少し疲れた帰り道にもある。
そして厄介なことに、そのボタンは
たいてい、押すつもりがなくても押される。
これが人間の性欲の面白さだ。
動物の発情期は、季節が来て身体全体が繁殖モードに入る。
人間の男は、日常の途中で局地的に発情する。
仕事帰りの電車の中で。
昼休みのスマホ画面で。
寝る前の布団の中で。
何もすることがない休日の午後に。
突然、脳内だけが繁殖期になる。
人間だけが特殊なのか
ここまで読むと、人間はとんでもなく変な動物に見える。
実際、変ではある。
だが「人間だけが性を繁殖以外に使う唯一の動物」
と言い切ると、それは少し雑だ。
人間以外にも、性行動が繁殖だけに閉じていない動物はいる。
代表的なのがボノボだ。
ボノボはチンパンジーと同じく、
人間に近い類人猿として知られている。
ただし、社会の雰囲気や性行動の使われ方には違いがある。
ボノボは、性行動を繁殖だけでなく、
社会的な結びつき、緊張緩和、争いの回避、
関係調整のような場面でも使うとされる。
つまり、性がただの受精イベントではなく、
社会の潤滑油のように働くことがある。
この点では、人間に少し近い。
性が繁殖からはみ出す。
性が関係性に関わる。
性が社会的な意味を持つ。
こうした特徴は、人間だけに完全に限定されたものではない。
ただし、人間はそこからさらにややこしい方向へ進んだ。
ボノボは性を社会に使う。
人間はそこに、妄想、恋愛、嫉妬、道徳、
AV、広告、風俗、SNS、検索履歴まで乗せてしまった。
性が繁殖からはみ出しただけではない。
文化のど真ん中まで進出している。
ここが人間の異常さだ。
人間は、性的興奮を実際の相手だけに向けない。
文字で興奮する。
映像で興奮する。
声で興奮する。
二次元で興奮する。
存在しないシチュエーションで興奮する。
過去の記憶を勝手に編集して興奮する。
現実の繁殖とはほとんど関係ないところで、
脳内だけが勝手に盛り上がる。
動物の発情が身体の季節イベントだとすれば、
人間の発情は脳内イベントでもある。
人間にも“発情しやすい季節”はある
人間に動物のような明確な発情期はない。
だが、人間にも性的関心や出生数に
季節的な偏りが見られることはある。
たとえば、地域や時代によっては、
ある季節に出生数が増えやすい傾向がある。
そこには気温、日照、感染症、栄養状態、
働き方、休日、文化的イベントなど、いろいろな要素が絡む。
面白いのは、人間の場合、自然の季節だけではなく、
文化のイベントが性の波を作ることだ。
クリスマス。
正月。
バレンタイン。
長期休暇。
連休。
旅行。
祭り。
年末の高揚感。
冬の孤独。
夏の開放感。
こういう人間くさいイベントが、
性的な気分に影響することがある。
動物の発情期が自然のカレンダーに刻まれているなら、
人間の発情は文化のカレンダーにも刻まれている。
猫は日照時間に揺さぶられる。
鹿は繁殖期に合わせて動く。
人間はイルミネーションと連休と少しの孤独に揺さぶられる。
森の光ではなく、街の光。
雨季ではなく、クリスマス。
食料の豊富さではなく、予定のなさと酒と寂しさ。
人間に発情期はない。
でも、人間は人間なりの“発情しやすい空気”を作ってしまう。
ここもまた、かなり変だ。
自然から解放されたはずなのに、
今度は文化やムードやスマホに動かされている。
発情期がない自由と、年中ムラムラする不自由
では、人間に発情期がないことは幸せなのか。
これは、なかなか難しい。
動物のように限られた時期しか性的になれないのではなく、
人間は一年中、誰かを求めることができる。
好きな相手と季節に関係なく触れ合える。
妊娠だけを目的にせず、快楽や安心感や親密さを味わえる。
これは自由だ。
性が繁殖だけではなくなったから、人間は恋愛を楽しめる。
夫婦や恋人の関係を深められる。
寂しさを埋められる。
アダルトコンテンツや風俗のように、
欲望を娯楽やサービスとして楽しむ文化も生まれた。
発情期に縛られないということは、
性が生活の中に広がるということでもある。
だが、その自由は同時に面倒でもある。
いつでもムラムラできるということは、
いつでも欲望に小突かれるということだ。
仕事に集中したいのに、余計な妄想が湧く。
寝ようと思ったのに、スマホを見てスイッチが入る。
疲れているのに、なぜかエロい気分だけは残っている。
寂しい夜に、誰かの体温を求めてしまう。
ふとした刺激で、理性が少し揺れる。
動物の発情期は、ある時期が来れば始まり、やがて終わる。
だが人間の発情は、終わりがはっきりしない。
薄く、長く、しつこい。
季節限定なら、まだ諦めがつく。
でも人間の場合、発情のきっかけは日常のあちこちに潜んでいる。
画面の中にも、街の中にも、
記憶の中にも、孤独の中にもある。
これは幸せなのか。
それとも呪いなのか。
たぶん、両方だ。
年中ムラムラできることは、
自由であり、楽しみであり、ときに救いでもある。
同時に、面倒で、滑稽で、ときどき自分を振り回す厄介な本能でもある。
人間は発情期から自由になった。
その代わり、欲望を完全にはオフにできない動物になった。
人間は脳内に発情期を飼っている
動物の発情期はわかりやすい。
季節が来る。
身体が変わる。
行動が変わる。
異性を求める。
繁殖する。
自然のカレンダーに合わせた、かなり合理的な仕組みだ。
一方、人間には猫や鹿のような明確な発情期はない。
少なくとも、動物的な意味での
「この時期だけ交尾する」という季節限定の発情期はほぼない。
だが、発情が消えたわけではない。
むしろ人間は、発情をもっと見えにくく、
もっと細かく、もっと日常的なものに変えてしまった。
排卵のサインはわかりにくくなり、
性行動は妊娠可能な時期だけに限定されなくなった。
性は快楽や親密さや関係性に広がった。
さらに人間は、視覚、記憶、妄想、物語、
スマホ、広告、風俗、アダルトコンテンツまで使って、
いつでも自分の中に発情を起こせるようになった。
猫は季節に鳴く。
鹿は繁殖期に戦う。
ボノボは性を社会に使う。
そして人間の男は、深夜のスマホ画面の前で、誰にも知られず発情する。
発情期がないのではない。
もしかすると人間は、発情期を
身体の外から脳内へ移しただけなのかもしれない。
自然の季節に支配される代わりに、
画像一枚、妄想ひとつ、孤独な夜ひとつで、自分の中に勝手に春を作る。
それが人間の性欲の自由であり、異常さであり、どうしようもない面白さだ。
人間は、脳内に発情期を飼っている。
しかもその発情期は、年中無休で、わりと簡単に目を覚ます。

