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ナースという響きに男が甘える。白衣の天使へ勝手に入院する妄想の正体【働く女性で勝手に妄想③】

ナースという響きに男が甘える。白衣の天使へ勝手に入院する妄想の正体【働く女性で勝手に妄想③】

ナース。

この三文字を見ただけで、
男の頭には妙に古風な女性が現れる。

白いワンピース。
白いストッキング。
頭には小さなナースキャップ。
首から聴診器を下げ、片手には体温計か注射器。

表情は優しい。

だが、少しだけ厳しい。

「もう、勝手に起きたらダメですよ」

そう言いながら、ベッドの横まで来て、
こちらの顔を心配そうにのぞき込む。

そして、なぜか病室には自分しかいない。

はい、出た。

男の脳内にだけ存在する、
完全個室・専属看護・追加料金なしの妄想病棟である。

冷静に考えてほしい。

現実の看護師は、一人の男の額へ手を当てて
意味深に微笑み続けるほど暇ではない。

複数の患者の状態を確認し、
処置や投薬を管理し、
記録を書き、医師やほかの医療職と連携し、
ナースコールへ対応し、急変が起きればすぐに動く。

こちらが少し寂しそうな顔をしたからといって、
椅子をベッドの横へ運び、
夜が明けるまで手を握ってくれるわけではない。

それでも男は「ナース」と聞くと、
病院全体からほかの患者を退院させる。

看護師も一人だけ。
患者も自分だけ。
夜勤中なのに疲れていない。
いつ呼んでも来る。
しかも担当時間の終了という概念がない。

これは医療ではない。

妄想である。

では、なぜ男はナースという職業に、
これほど都合のいい物語を背負わせるのか。

白衣がエロいからか。

身体へ触れる仕事だからか。

優しい女性に世話をされたいからか。

それとも男は、ナースに興奮しているのではなく、
患者という立場なら堂々と弱くなれることに興奮しているのか。

ナース幻想を掘っていくと、
そこには性欲だけでは説明できない、
男の甘え、依存心、羞恥心、弱音、寂しさ、
そして何もしなくても女性から心配されたいという、
かなり虫のいい願望が詰まっている。

まず認めよう。男が見ているのは看護ではない

看護師の仕事を並べてみよう。

患者の状態観察。
療養生活の支援。
投薬や処置の管理。
医療機器の確認。
記録。
感染対策。
他職種との連携。
急変時の対応。

どうだろう。

この説明だけでムラムラしてきた男がいるなら、
ナースフェチというより医療安全管理への関心が強すぎる。

「血圧を測りますね」

普通の看護だ。

「お薬の時間ですよ」

服薬管理である。

「今日は安静にしてください」

回復のための指示だ。

ところが、これらの言葉を
妄想上の美人ナースに言わせた瞬間、
男の脳内では意味が変わる。

血圧を測る。
自分の身体を気にしてくれている。

薬を持ってくる。
自分のために何かを用意してくれた。

安静にしろと言う。
自分の身を心配して怒ってくれている。

看護師側の目的は、患者の安全と回復である。

だが男は、業務上の気遣いへ勝手に私情を足す。

同じ「大丈夫ですか?」でも、
駅員に言われれば体調確認だ。

ナースに言われると、
なぜか恋の始まりに聞こえる。

つまり男が反応しているのは、
看護という仕事そのものではない。

弱った自分と、その弱さを
面倒くさがらずに受け入れる女性との関係だ。

秘書幻想では、自分だけを担当してほしい。

女教師幻想では、
大勢の中から自分だけを見つけてほしい。

ナース幻想では、何もできなくなった自分を、
それでも見捨てずに世話してほしい。

男の願望は、回を追うごとに動かなくなっている。

秘書編では社長だった。

女教師編では隠れた才能を持つ生徒だった。

ナース編では、ついにベッドから起き上がることすらやめた。

それでも美しい女性には来てほしい。

欲望だけは、驚くほど元気である。

患者になれば、男は堂々と弱くなれる

普段の男は、弱さを隠したがる。
少しくらい痛くても平気な顔をする。
熱があっても「寝れば治る」と言う。
病院が怖くても、別に怖くないふりをする。

寂しくても、誰かにそばにいてほしいとは言いにくい。
一人では無理でも、助けてくれと素直に言えない。
強く見られたい。
頼れる男でいたい。
自分のことは自分でできると思われたい。
面倒な生き物である。

ところが患者という立場を手に入れた瞬間、
その面倒なプライドに逃げ道ができる。

「痛い」と言っても格好悪くならない

病気やケガをしていれば、
痛がっても仕方がない。

注射が嫌でも、手術が不安でも、
夜中に眠れなくても、患者なのだから当然だ。

男は弱くなったのではない。
一時的に身体の調子が悪いだけ。

怖がっているのではない。
医療上の説明を慎重に聞いているだけ。

寂しいのではない。
容体の変化に備えて誰かにいてほしいだけ。

便利な言い換えである。

患者という肩書きは、
男のプライドを残したまま甘えるための身分証明書になる。

「大丈夫ですか」と聞かれれば、
堂々と「少し痛い」と言える。

「怖いですか」と聞かれれば、
仕方なく少しだけうなずける。

自分から「優しくして」と言わなくても、
向こうが先に優しくしてくれる。

男にとって、これほど都合のいい弱者ポジションは珍しい。

何もしなくても心配してもらえる

恋愛では、女性に関心を持ってもらうために
多少の努力が必要になる。

話を面白くする。
身なりを整える。
相手を気遣う。
連絡を返す。
自分なりの魅力を見せる。

少なくとも、ただ横になっているだけでは物語が進みにくい。

病院では違う。

寝ているだけで、向こうから体調を聞きに来る。

熱はないか。
痛みは増えていないか。
食事は取れたか。
眠れたか。
気分は悪くないか。

何の成果も出していないのに、
一日の状態を細かく気にしてもらえる。

仕事もしていない。
面白い話もしていない。
髪型すら整っていない。
病院着で寝ているだけ。

それでも女性が名前を呼び、
顔を見て、体調を尋ねてくれる。

男の妄想は、ついに魅力の提示すら省略し始める。

努力をしなくても愛されたい。
だが「愛されたい」と正直に言うのは恥ずかしい。
そこで「看護されたい」と言い換える。
男の甘えは、医療用語を覚えると少し立派に見える。

世話をされても、借りを感じなくていい

恋人に何日も看病してもらえば、申し訳なさが生まれる。

食事を作ってもらった。
薬を買ってきてもらった。
仕事を休ませた。
夜まで付き添わせた。

元気になったら、何か返さなければならない。

相手にも疲れや予定がある。

一方、妄想上のナースは
仕事として世話をしてくれる。

だから男は、受け取る側のままでいられる。

優しくしてほしい。
だが重い男だとは思われたくない。

世話をしてほしい。
だが相手へ負担をかけた罪悪感は持ちたくない。

弱音を吐きたい。
だが情けない男とは思われたくない。

その矛盾を、患者という役割がすべて引き受ける。

男は甘えているのではない。
適切な療養を受けているだけ。

女性に依存しているのではない。
医療従事者の指示に従っているだけ。

そういうことにしておけば、自尊心は無傷である。

身体は入院していても、
プライドだけは個室の特別室にいる。

ナースは優しい。でも命令できる

ナース幻想には、妙な二面性がある。

優しい。
柔らかい声で話す。
身体を気遣う。
寒くないように毛布を直す。
不安そうなら声をかける。
それなのに、患者へ命令もできる。

「動かないでください」
「横になってください」
「勝手に起きたらダメです」
「今日は安静です」
「少し我慢してください」

男は従うしかない。

だが、理不尽に支配されているわけではない。
すべて自分の身体を守るためだ。
ここが男の妄想に恐ろしくよく効く。

ただ命令してくる女性なら怖い。
ただ何でも聞いてくれる女性なら物足りない。

欲しいのは、自分のために命令し、
自分のために少し怒り、
自分のために行動を管理してくれる女性である。

「ちゃんと寝ていないとダメですよ」

この言葉は、本来ただの療養指導だ。

しかし男の脳内では、

「あなたが心配だから、私の言うことを聞いて」

という愛情表現へ変換される。

女教師にも、男を叱る役割があった。
だが女教師の叱責は、未熟な生き方や態度を正すものだ。

ナースの注意は、弱った身体を守るためにある。

女教師には人生を指導してほしい。
ナースには身体ごと管理してほしい。

男は命令されたいのではない。
自分が言うことを聞かなくても、
見捨てずに注意してほしいのだ。

面倒をかけても、なお世話を続けてほしい。
「もう知りません」と言わない女性がほしい。

つまりナース幻想の命令には、
罰ではなく保証が付いている。

怒られても、次の巡回にはまた来る。
叱られても、薬の時間になれば忘れずに持ってくる。
少しくらい困らせても、患者だから放置されない。

男が欲しいのは支配ではない。
見捨てられない範囲での、安心できる叱責なのだ。

なぜ女医ではなく「ナース」が妄想の主役なのか

医療現場には、さまざまな職業がいる。

医師。
看護師。
薬剤師。
理学療法士。
臨床検査技師。
放射線技師。

だが、古典的なエロ妄想の主役になりやすいのは「ナース」である。

なぜなのか。

女医でもよさそうなものだ。
白衣を着ている。
医療知識がある。
患者の身体を診る。

しかし、女医という言葉から
男が受け取る印象は、ナースとは少し違う。

女医には診断される。
ナースには世話をされる。

女医には病気を見抜かれる。
ナースには弱さを受け止めてもらう。

女医は検査結果を見て、厳しい現実を告げそうだ。

妄想上のナースは、その現実を告げられた男へ
毛布を掛け直してくれそうに見える。

もちろん、これは現実の職業内容を
正しく表した比較ではない。

男の頭が勝手に作った配役である。

現実の看護師は、患者の変化を観察し、
状況を判断し、安全な療養を支える専門職だ。

だが、一般のメディアでは、
看護師の判断や看護実践そのものが十分に描かれず、
「患者のそばにいる人」「苦労する人」「支える人」
といった姿が前に出やすいという研究もある。

日本の新聞記事を調べた研究でも、
看護師の感染や心的負担は多く報じられた一方、
看護実践そのものはほとんど描かれない傾向が示されている。

専門性は見えにくい。
優しさだけが見える。
判断は省略される。
世話をしている姿だけが残る。
そこへ男の妄想が入り込む。

看護師が何を考えているかは見ない。
どれだけ難しい判断をしているかも見ない。

自分のベッドの横に立っていることだけを見る。
男が求めているのは、医療知識を持つ女性ではない。

その知識と能力を、
自分への優しさとして使ってくれる女性なのだ。

診断は医師に任せる。
治療方針も医師に任せる。
だが、寂しさだけは美人ナースに担当してほしい。

病院内の役割分担へ、勝手な希望を追加するのだ。

看護師は脈を測っている。男は「脈あり」だと思っている

病気やケガをしたとき、
人は普段より心細くなる。

自分の身体が思い通りに動かない。
何が起きているか分からない。
いつ治るか分からない。
この痛みが普通なのかも判断できない。

そんな状態で、名前を呼び、話を聞き、
小さな変化に気づいてくれる相手がいれば、
その存在が普段以上に大きく見えるのは不思議ではない。

「大丈夫ですか?」
「痛かったですね」
「何かあったら呼んでください」

どれも看護として自然な言葉だ。

ところが男の脳内翻訳機を通すと、文章が少し変わる。

「あなたのことが心配です」
「あなたの痛みは私だけが分かります」
「いつでも私を呼んでください」

原文にはない。
完全な意訳である。

看護師は患者の脈を測っている。
男は、自分に脈があると思っている。

看護師は経過を観察している。
男は、恋が進展していると思っている。

看護師はナースコールへ応答している。
男は、自分の呼びかけに応えてくれたと思っている。

看護師は「顔色がよくなりましたね」と体調を見ている。
男は「男として見直された」と受け取る。

どこからその自信が出てくるのか。
点滴には入っていないはずである。

心理学や精神医療では、過去の重要な人間関係に由来する感情や期待が、
現在の医療者などへ向けられる現象を「転移」と呼ぶことがある。

だが、ここで難しい理論を持ち出さなくても、男の勘違いは説明できる。

弱っている。
不安である。
優しくされた。
相手が魅力的だった。

以上。

男の頭の中では、これだけの材料があれば
恋愛ドラマが一本完成する。

しかも患者は、普段より
自分のことばかり考えている。

痛い。
眠れない。
怖い。
暇だ。

そんなときに優しい女性が現れれば、
彼女の親切が世界の中心に見える。

だが、その女性は自分だけに優しいのではない。
次の病室でも同じように声をかける。
その次の患者の痛みも確認する。

自分にだけ見せた微笑みだと思っていたものが、
病棟標準装備である可能性は高い。

男は特別扱いされたのではない。
適切な看護を受けたのだ。

しかし妄想の中では、
通常の看護がすべて特別処置へ変更される。

保険は適用されない。
自己負担は妄想力である。

ナース幻想には、身体へ触れる理由が最初から用意されている

ナースものの強さは、
身体的な距離が近くても不自然ではない点にある。

脈を測る。
体温を確認する。
身体を支える。
痛む場所を尋ねる。
衣服や寝具を整える。
必要に応じて身体の状態を観察する。

現実には、患者の安全と回復のための看護である。

看護師と患者の関係は、
患者の必要を中心に置く専門的な関係であり、
身体的な接触もケアに必要な範囲で行われる。
看護職の規制機関も、この関係では
患者のニーズと専門的な境界が中心になると明示している。

だが男の妄想は、接触の目的を勝手に書き換える。

触れられた。
だから自分の身体に関心がある。

顔を近づけられた。
だから男として意識されている。

服や毛布を整えられた。
だから身の回りを世話したいと思われている。

違う。
患者だからである。

男は突然触られたいのではない。
触れられても不自然ではない物語を先に欲しがっている。

ここが重要だ。

街ですれ違った女性が、
突然胸へ聴診器を当ててきたら事件である。

病院なら診察や看護の一部になる。
ベッドへ寝ていても不自然ではない。
服装が簡素でも不自然ではない。
身体の状態を尋ねられても不自然ではない。
二人きりになっても不自然ではない。

男の脳内脚本家にとって、
病室は説明をほとんど必要としない便利なセットなのだ。

接近する理由がある。
身体を見る理由がある。
触れる理由がある。
こちらが受け身でいる理由まである。

これほど妄想の制作費を削減できる場所も珍しい。

聴診器に罪はない。
体温計にも罪はない。

点滴スタンドも、男の妄想を吊るすために立っているわけではない。

カーテンは患者のプライバシーを守るためにある。
男とナースを二人だけの世界へ隔離するためではない。

すべて医療器具と設備である。
不純なのはこちら側だけだ。

白衣の清潔さと、男の妄想の不潔さ

白衣は、大胆に肌を見せる服ではない。

身体を仕事用に包み、
私的な装いを消し、
医療従事者としての役割を示す制服である。

白という色には、
清潔、衛生、信頼、専門性といった意味が重ねられてきた。

だからこそ、男はそこへ不純な想像を持ち込む。

最初から派手で露出の多い服なら、見たままで終わる。

白衣は違う。
清潔である。
真面目である。
命を扱う場所にふさわしい。
仕事のために着ている。

その私情のなさが、逆に男へ余計なことを考えさせる。

白い布の内側には、当然ながら普通の女性の身体がある。

当たり前である。

だが男は、その当たり前を大発見のように扱う。

白衣を脱いだら、看護師も一人の女性なのではないか。
そうである。

勤務が終われば私生活もあるのではないか。
当然である。

仕事中とは違う服を着て、違う表情で笑うのではないか。
人間なので、そういうこともある。

何も不思議ではない。

しかし男は、職業上の顔の裏に
私的な顔があるというだけで、
秘密へアクセスした気分になる。

秘書スーツにも、女教師のブラウスにも、同じ仕組みがあった。

露出が少ないからこそ、その内側を想像する。

仕事の役割が強いからこそ、
役割を脱いだ瞬間に意味を感じる。

ナース服のエロスは、
見えている肌だけにあるのではない。

身体が「患者を看護する専門職」
として統制されていることにある。

男は白衣そのものを見ている。
同時に、その白衣が乱れていないことへ興奮している。

きちんとしている。
清潔である。
感情を仕事へ持ち込まない。

だからこそ、自分の前だけでは
違うかもしれないと想像する。

清潔な白衣に、不潔な物語を勝手に書き込む。

ナースフェチとは、男の脳内で行われる
最も衛生状態の悪い落書きなのかもしれない。

男の脳内病棟では、消えたナース服がまだ現役

ここで、男が思い浮かべる
ナース服をもう一度見てみよう。

白いワンピース。
白いストッキング。
白い靴。
ナースキャップ。
場合によっては胸元に赤い印。

ずいぶん見覚えがある。

だが、現実の医療現場で
日常的に見る看護服とは、かなり違う。

日本のナースウェアは、
長いスカートやエプロン、白いワンピースから、
動きやすいパンツスタイルやスクラブへ変化してきた。

1970年代にパンツスタイルが取り入れられ、
1990年代後半には動きやすさや感染予防などの観点から、
ワンピースよりパンツスタイルの採用が増え、
帽子廃止の動きも顕著になったとされる。

現実の制服は、動くためにある。

しゃがむ。
支える。
運ぶ。
急いで移動する。
衛生を保つ。
長時間働く。

当然、見た目より機能性が重要になる。

ところが男の脳内病棟では、
実用性がすべて無視される。

スカート丈は短くなる。
身体の線は出やすくなる。
ナースキャップは復活する。
靴音だけはやけに鮮明になる。

医療現場ではとっくに異動した制服を、
男の妄想だけが永久雇用している。

ナースキャップは現場から姿を消しても、
男の脳内からは一向に退院する気配がない。

なぜなら妄想上のナース服は、
働くための服ではないからだ。

一目で「ナース」と分からせるための舞台衣装である。

白いワンピース。
小さな帽子。
聴診器。

これだけあれば、場所の説明はいらない。

病室。
患者。
看護。
身体への接近。
物語が一瞬で立ち上がる。

男が愛しているのは、現実の看護服ではない。

「ナース」という役割を最短で伝える記号である。

だから現実の制服がどれほど変化しても、
妄想上の衣装は更新されない。

男の頭の中には制服管理部がない。
新しいカタログも届かない。
数十年前のイメージを、ずっと現役として使い続ける。

病棟は最新設備。
妄想だけ昭和である。

「白衣の天使」と「エロいナース」は、本当に正反対なのか

看護師は長く「白衣の天使」と呼ばれてきた。

優しい。
献身的。
病人へ寄り添う。
自分より患者を優先する。
苦しむ人を見捨てない。

一方、成人向け作品に出てくるナースは、
性的で、奔放で、患者へ
過剰なサービスをする存在として描かれる。

一見すると、正反対だ。

片方は清純。
片方は淫ら。
片方は聖なる看護。
片方は不純な遊び。

だが、よく見ると土台は似ている。

どちらも、ナースは患者の要求を受け入れ、
自分より相手を優先し、見返りを求めずに
尽くしてくれる女性として描かれている。

白衣の天使では「献身」。
エロいナースでは「奉仕」。

表現が違うだけで、
女性側が男の必要を満たすという構造は変わらない。

看護師のメディア表象については、
「慈悲深い天使」「医師の補助役」「性的対象」など、
いくつもの定型像が長く繰り返されてきたことが研究でも指摘されている。

つまり、成人向け作品が
ナースをゼロからエロくしたわけではない。

一般文化が先に、

優しい。
清潔。
献身的。
患者のそばにいる。
自分のことより相手を優先する。

という女性像を作った。

そこから専門性や過酷な労働を削り、
男にとって都合のいい部分だけを濃縮すれば、
エロいナースが完成する。

白衣の天使が突然変身したのではない。

男の要求はそのままに、
スカート丈だけが短くなったのだ。

この二つの像に共通するのは、
看護師本人の人生が見えにくいことでもある。

天使は疲れない。
天使は怒らない。
天使は自分の都合を優先しない。
妄想上のナースも同じだ。
夜勤でも疲れていない。
何度呼んでも嫌な顔をしない。
こちらの話を聞く時間が無限にある。

つまり男は、白衣の天使を性的にしたのではない。

もともと人間離れしていた天使像へ、
自分の下心まで担当させただけである。

業務が増えている。

映画とドラマは、何十年も男の頭へナースを入院させてきた

ナースが性的な職業イメージを持つようになったのは、
成人向け作品だけの影響ではない。

映画。
ドラマ。
漫画。
小説。
広告。
コメディ。

一般の娯楽作品でも、
ナースは繰り返し特定の役として登場してきた。

若い。
美しい。
優しい。
患者のそばにいる。
医師を支える。

ときには患者や医師と恋に落ちる。

こうした表現が何度も使われるうちに、
「ナース」という言葉だけで、
観客の頭に似たような女性が現れるようになった。

ある研究では、1930年から1979年までの米国映画191本に登場した看護師役211人を分析し、
73%が性的対象として描かれていたと報告されている。
時代や国の違いはあるが、ナースの性的イメージが
長く映像文化の中で反復されてきたことを示す一例ではある。

病室。
白いベッド。
カーテン。
夜の巡回。
静かな廊下。
ベッドサイドへ近づく足音。

現実には、すべて普通の医療環境である。

しかし映像作品では、これらに意味深な間が加えられる。

カーテンが閉まる。
照明が少し落ちる。
ほかの患者が眠る。
ナースが一人で見回りに来る。

「眠れませんか?」

ただの巡回が、物語の始まりになる。

男の頭には、この映像文法がすでに保存されている。
だから病室のカーテンを見ると、何かが隔てられた気がする。
ナースコールを見ると、自分だけが呼べる女性への直通ボタンに見える。
白いベッドを見ると、なぜか自分が主人公になる。

成人向け作品は、この仕組みを分かりやすく濃縮しただけだ。

一般文化が作った「優しくて清潔な白衣の女性」を、
患者一人の専属にする。

ほかの患者を消す。
医療行為を意味深な接触へ変える。
専門性を削る。
制服を短くする。
完成である。

男の妄想は、医療ドラマから医療だけを取り除くのがうまい。

現実の看護師から、男の妄想は専門性だけを削除する

現実の看護師には、知識がいる。
観察力がいる。
判断力がいる。
緊急時に動く力がいる。
患者や家族と話す力がいる。
医師やほかの職種と連携する力がいる。
身体介助にも技術がいる。

ただ優しく微笑んでいれば成立する仕事ではない。
むしろ優しい顔をしていられない状況もある。

急がなければならない。
厳しく伝えなければならない。
患者の希望どおりにできないこともある。
複数の人を同時に気にかけなければならない。

ところが、妄想上のナースには勤務表がない。

ほかの患者もいない。
記録を書く時間もない。
休憩もいらない。
夜勤なのに眠くない。
こちらが何度呼んでも、最初と同じ笑顔で来る。

現実の看護師が抱えている専門性と労働を、
男の脳はきれいに削除する。

残すのは、自分へのケアだけ。
観察力は、自分の小さな変化に気づくために使ってほしい。
判断力は、自分が寂しがっていることを察するために使ってほしい。
コミュニケーション能力は、自分の話を優しく聞くために使ってほしい。
夜勤は、夜中でも自分のそばへ来るために存在してほしい。

男が欲しいのは看護師ではない。

看護師の能力をすべて自分の世話へ集中させた、
医療資格付きの理想女性である。

秘書幻想でも、有能な女性の能力を
自分のために使ってほしいという願望があった。
だが秘書の場合、その能力は男の社会的成功を支える。

予定を整える。
仕事を成功させる。
偉い男として振る舞わせる。

ナースの場合は違う。
身体を支える。
痛みを気にする。
眠れない夜に来る。
弱い男として存在することを許す。

秘書には、自分をもっと偉く見せてほしい。
ナースには、偉くなくても優しくしてほしい。

男の要求は矛盾しているようで、実は一貫している。

どんな状態の自分でも、
魅力的な女性から最優先されたいのだ。

ナースに恋をしたのか。弱い自分を受け入れてもらえた感覚が好きなのか

病気やケガをしたとき、
人は普段とは違う自分になる。

一人でできていたことができない。
誰かへ助けを求める。
身体を見られる。
弱音を吐く。
不安を隠せない。
普段なら見せない自分が表へ出る。

その状態を、看護師は仕事として受け止める。

痛がっても笑わない。
怖がっても責めない。
身体が思うように動かなくても、
面倒くさがらずに手を貸す。
患者にとって、それは大きな安心になる。

では、その安心を与えてくれた女性が
魅力的に見えたとき、本当に好きになったのは誰なのか。

看護師本人なのか。
それとも、看護師の前なら
弱くても許された自分なのか。

自分では何もできない状態でも、
価値のない人間のように扱われなかった。

不安な話をしても、黙って聞いてもらえた。
身体を預けても、嫌な顔をされなかった。

その感覚が、恋愛感情と混ざった可能性はないだろうか。

女教師編では、先生を好きだったのか、
先生に認められた自分が好きだったのかと考えた。

ナース編では、問いが少し変わる。
ナースを好きになったのか。
ナースの前なら、強くなくてもよかった自分が好きだったのか。

男は普段、女性の前で格好をつける。
頼られたい。
守りたい。
余裕を見せたい。
ところがナースの前では、守られる側へ回っていい。

起き上がれない。
痛い。
不安だ。
一人では困る。

それでも女性は離れない。
男にとって、これはかなり珍しい体験である。

何かを与えなくても関わってもらえる。
強さを見せなくても見捨てられない。
役に立たなくても名前を呼ばれる。

恋をしたというより、
存在を許された安心に酔っているのかもしれない。

だが男は、それをそのまま認めるのが恥ずかしい。

「弱い自分を受け入れてもらえて嬉しかった」

そう言う代わりに、

「あのナース、俺に気があったかもしれない」

と話を変える。

また自尊心が余計な仕事をしている。

恋愛より都合がいい。ボタン一つで来てくれる女性

恋愛では、相手にも生活がある。
仕事がある。
体調がある。
気分がある。
連絡しても返事が来ないことがある。
会いたくても会えないことがある。
一方的に甘えていれば、当然うんざりされる。
相手の話も聞かなければならない。
自分も気を遣わなければならない。

妄想上のナースは違う。
ナースコールを押せば来る。
具合を聞く。
困っていることを確認する。
夜中でも対応する。
何度呼んでも、患者だから見捨てない。
もちろん現実のナースコールは、
医療上必要なときに使うものだ。
寂しさを埋めるための女性呼び出しボタンではない。
だが男の頭では、あの小さなボタンが異様な輝きを放つ。

押せば女性が来る。
しかも、「何ですか」と用件まで聞いてくれる。
恋愛なら既読無視されるかもしれない。
ナースコールなら、少なくとも病棟には届く。
男が求めているのは恋人ではない。
通信障害のない優しさなのかもしれない。
ただし、現実には看護師も一人ではない。
担当患者も一人ではない。
別の場所で重要な対応をしていることもある。
男の脳内病棟だけが、自分のコールを最優先に設定している。
ほかの患者の緊急度はゼロ。
自分の寂しさだけが重症扱い。
診断名は、構ってほしい。
治療法は、美人ナースの巡回。
保険適用は難しそうである。

ナースがエロいのではない。男の弱さが白衣を着ているのだ

ここまで掘ってみると、
ナースフェチが単なる白衣やコスプレへの趣味ではないことが見えてくる。

男がナースへ重ねているのは、
ナースキャップや聴診器だけではない。

弱さを見せても許される患者という立場。
何もしなくても心配してもらえる安心感。
身体を預けても拒まれない信頼。
自分のために命令してくれる管理。
業務上の優しさを特別な好意へ変える勘違い。
清潔な女性へ不潔な想像を重ねる落差。
呼べば来てくれるという、現実の恋愛にはない都合のよさ。

世話をされたい。
だが子ども扱いはされたくない。

弱音を吐きたい。
だが情けない男とは思われたくない。

身体を気にしてほしい。
だが病人としてだけ見られるのは寂しい。

優しくしてほしい。
だが少しくらい命令もされたい。

何もしなくてもそばにいてほしい。
だが依存しているとは認めたくない。

相変わらず、要求が多い。

秘書には、成功した自分を支えてほしい。
女教師には、特別な自分を見つけてほしい。
ナースには、何者でもない弱った自分を、
そのまま受け入れてほしい。

ナース編の男は、偉くない。
隠れた才能もない。
大人の余裕もない。

病院着を着て、ベッドへ横になっている。
髪も乱れている。
顔色も悪い。
自分では何もできない。

それでも美しい女性が名前を呼び、
身体を気にし、夜中でも様子を見に来てくれる。

男の妄想は、ついに
努力しない自分まで肯定してほしくなった。

ナースがエロいのではない。
男が、白衣という清潔な布へ、
自分の甘えと依存と下心を勝手に包んでいるのだ。

もちろん、現実の看護師は
男の妄想を実演するために働いているわけではない。

看護師が測っているのは、体温と血圧と脈拍である。
男としての可能性ではない。

優しくされたからといって、特別な意味を足す必要もない。
その女性はプロとして患者を気遣った。
それだけで十分にありがたい。

妄想の中では、白衣も聴診器も好きに働かせればいい。
脳内病棟なら、ナースキャップを復活させても構わない。
自分一人だけの個室を作ってもいい。
夜中に何度巡回させても、誰にも迷惑はかからない。
ただし現実の病院へ、その脚本を持ち込んではならない。
現実のナースコールは、恋の呼び鈴ではない。
それでも男の脳内病棟では、今日も小さな音が鳴っている。

緊急性はない。
容体も安定している。
ただ少し、優しくされたいだけである。

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