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名画もかつては「わいせつ」だった? 裸体表現と規制の境界線をめぐる歴史

名画もかつては「わいせつ」だった? 裸体表現と規制の境界線をめぐる歴史

ネットを眺めていると、
突然現れる性的な広告に驚かされることがある。

子どもの目にも入り得る場所へ、
刺激の強い広告を無差別に表示してよいのか。
漫画や写真集を「有害図書」に指定する基準は妥当なのか。
美術館に飾られた裸は芸術なのに、
広告に使われた途端に不適切になるのはなぜなのか。

性的表現をどこまで許し、
どこから規制するのか。

いかにもインターネット時代らしい問題に見えるが、
実のところ、人類は似たような議論を何百年も繰り返している。

世界的な名画へパンツを描き足した人もいれば、
油絵の前へ本物の布を垂らした警察もいた。

現在では国立美術館の看板作品になっている絵が、
発表当時には「下品だ」「不道徳だ」と罵声を浴びたこともある。

つまり、名画は最初から名画だったわけではない。

時代によっては、それらも街角の刺激的な広告と同じように、
「公衆の目に触れさせるべきではないもの」と見られていた。

では、芸術とわいせつを分けるものは何なのか。

裸の面積なのか。
性器が見えているかどうかなのか。
描いた人の知名度か。
美術館という場所の権威か。
それとも、見る側が「これは芸術だ」と信じられるかどうかなのか。

今回は、人類が裸に付けてきた
さまざまな肩書をたどりながら、
何が芸術で、何がわいせつとされてきたのか、
その動き続ける境界線をのぞいてみたい。

裸はいつから「恥ずかしいもの」になったのか

現代社会では、人前で性器を隠すのは当たり前のマナーとされている。

そのため、裸体を隠す感覚も
人間に最初から備わった本能のように思えるかもしれない。

しかし美術の歴史を見ると、
裸は必ずしも恥や性欲だけを意味していなかった。

古代ギリシャでは、裸が英雄の制服だった

古代ギリシャの彫刻には、
全裸の男性が数多く登場する。

神々、競技者、戦士、英雄。
彼らは服を着ていないにもかかわらず、
無防備というより、堂々として力強い。

現代のヒーローがマントや特殊スーツを身にまとうとすれば、
古代ギリシャの英雄にとっては、
鍛え上げられた裸そのものが特別な衣装だったとも言える。

筋肉の付いた身体は、
若さ、勇気、知性、節制、肉体的完成の象徴だった。

つまり、裸だから性的だったのではない。
裸だからこそ、人間を超えた理想の存在に見えたのである。

もちろん、すべての裸が平等に扱われたわけではない。

男性裸体が英雄的な表現として広く登場した一方で、
女性の全裸像はより慎重に扱われた。

やがて愛と美の女神アフロディーテなどを理由に、
女性裸体も美術の重要な主題となっていく。

ここで早くも、後世まで続く便利なルールが生まれる。

ただの裸の女性では問題がある。
だが、女神の裸なら話は別だ。

裸そのものより、「誰の裸なのか」という肩書が重要になったのである。

アダムとイブが残したイチジクの葉

西洋文化における裸と羞恥を考えるうえで、
アダムとイブの物語は避けて通れない。

旧約聖書の創世記では、
最初の人間であるアダムとイブは、
禁じられた木の実を食べるまで、
自分たちが裸であることを恥じていなかった。

ところが、禁断の実を口にした途端、
自分たちが裸であると気づき、
イチジクの葉をつなぎ合わせて腰を隠したとされる。

この物語によって、裸は単なる身体の状態ではなく、
罪、羞恥、性への目覚めと結びついた。

そしてイチジクの葉は、長い年月をかけて
「見せてはいけない部分を隠すもの」の象徴になった。

後世のヨーロッパでは、
裸体彫刻の性器部分へ金属製のイチジクの葉を取り付けることすらあった。

石像本人は何も気にしていないのに、
鑑賞する人間の方が気まずくなり、
数百年後に葉っぱを着けて回ったわけだ。

もっとも、隠すことには奇妙な副作用もある。

身体全体が自然に見えている時には気にならなかったのに、
一部分だけ葉で覆われると、
「この下には見てはいけないものがある」と強調される。

隠したことで、かえって視線を集めてしまうのだ。

検閲とは、ときに巨大な指差しマークでもある。

「ここは絶対に見るな」と言われるほど、
人はその場所が気になってしまう。

名画にも服を着せた「裸体検閲」の時代

西洋美術と聞くと、
裸に寛容な世界を想像するかもしれない。

美術館には裸の神や女神が並び、
教会の天井にも筋肉質な人体が描かれている。
西洋では古くから芸術とわいせつを冷静に区別していた、と思いたくなる。

しかし実際には、西洋でも名画へ服を着せる騒動が起きていた。

ミケランジェロの《最後の審判》に描き足されたパンツ

《最後の審判》は、ルネサンスを代表する芸術家
ミケランジェロが、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂に描いた巨大な壁画である。

システィーナ礼拝堂は、
単なる観光名所ではない。

ローマ教皇の礼拝堂であり、
新しい教皇を選ぶコンクラーヴェも行われる、
カトリック世界の重要な宗教空間だ。

その正面に、最後の審判を迎える人々が
群れをなす巨大壁画が描かれた。

問題は、登場人物の多くが裸だったことだ。

ミケランジェロにとって、
鍛えられた人体は神が作った究極の造形だったのかもしれない。
ところが一部の聖職者から見れば、
礼拝堂の正面に大量の裸体が並ぶ光景は、あまりにも生々しかった。

「これは礼拝堂ではなく、浴場や酒場にでも描くべき絵だ」

そういった趣旨の批判まで浴びたとされる。

ミケランジェロの死後、
画家ダニエレ・ダ・ヴォルテッラが、
問題視された人物の下半身へ布や衣服を描き加える仕事を命じられた。

その結果、彼は後世、「イル・ブラゲットーネ」と呼ばれるようになる。

日本語にすれば、「ふんどし画家」や「パンツ画家」といったところだ。

本人にも優れた作品はあるのだが、
美術史上では巨匠の絵にパンツを履かせた人として記憶されてしまった。
歴史とは時に残酷である。

隠した跡まで文化財になってしまった

時代が変わると、今度は別の問題が起きた。

後世の修復作業で、描き加えられた布を取り除き、
ミケランジェロが描いた本来の裸体へ戻すべきではないか、
という議論が生まれたのだ。

一見すると、答えは簡単に思える。

後から加えられた検閲なのだから、
全部消して元へ戻せばよい。

しかし、何百年も残された加筆は、
それ自体が歴史の証拠でもある。

宗教権力が裸体をどう見たのか。
人々が何を不道徳と感じたのか。
芸術作品が時代の価値観によってどう改変されたのか。

描き足された腰布は、ミケランジェロの作品ではない。
しかし、美術をめぐる人間社会の歴史ではある。

そのため修復では、後世の加筆の一部が取り除かれ、一部は残された。

ここに表現規制の厄介さがある。

規制は、その場で作品を見えなくするだけではない。
作品そのものを書き換え、何百年も後の人間へ、
「この改変まで消してよいのか」という宿題を残す。

いったん表現へ加えられた傷や覆いは、
それ自体が歴史になってしまうのだ。

女神なら芸術、現実の女性なら炎上

西洋絵画には、裸の女性が数え切れないほど登場する。

ところが、どの裸も同じように受け入れられたわけではない。

ある裸婦は絶賛され、別の裸婦は不道徳だと攻撃された。

その差を生んだのは、裸の面積だけではなかった。

神話は裸体画の便利な免許証だった

長い間、西洋絵画で裸体を描くには、
それなりの理由が求められた。

代表的なのが、ヴィーナスをはじめとする神話上の女神である。

女神なら全裸でも教養ある神話画になる。
聖書や古代史の登場人物なら、
歴史や宗教を学ぶための高尚な作品になる。

もちろん、鑑賞者が
純粋な学問目的だけで見ていたとは限らない。

王侯貴族の寝室や私的空間には、
かなり官能的な神話画も飾られた。

「裸の女性を眺めたいのではない。
古典神話への理解を深めているのだ」

そんな言い訳が、本気か冗談かはともかく成立したのである。

神話は、裸体画に与えられた便利な免許証だった。

この仕組みがよく分かるのが、
1863年前後のフランス美術だ。

アレクサンドル・カバネルの《ヴィーナスの誕生》には、
横たわる全裸の女神が描かれている。

肌はなめらかで、姿勢は優雅。
官能的ではあるが、「これは神話上のヴィーナスだ」という格式がある。
作品は高く評価され、当時の皇帝にも購入された。

一方、同じ時期に発表されたエドゥアール・マネの《草上の昼食》には、
服を着た男性たちの隣へ、裸の女性が座っている。

彼女は女神でも妖精でもない。

当時のパリに実在していそうな、
ごく現実的な女性だった。

しかも彼女は、裸であることを恥じるでもなく、
こちらをまっすぐ見ている。

観客は混乱した。

裸がいけないのではない。
同じ時代に、もっと官能的な女神像が称賛されている。

問題は、その裸に神話という安全装置がなかったことだ。

「これはヴィーナスです」と言ってくれなければ、
観客は目の前の女性を現実の身体として見るしかない。

そして現実の身体は、理想化された女神よりもはるかに落ち着かない。

《オランピア》は裸より「目つき」が問題だった

マネはさらに、
《オランピア》という作品を発表する。

描かれているのは、ベッドへ横たわる裸の女性。
構図だけ見れば、古くから繰り返されてきたヴィーナス像に近い。

ところが彼女は、女神には見えない。

首飾りや履物を身に着け、
黒人女性の使用人が花束を持ってきている。
当時の観客には、客から贈られた花を受け取る娼婦の姿を連想させた。

「オランピア」という名自体も、
当時の娼婦が使う名前として受け取られやすかった。

そして何より印象的なのが、彼女の視線だ。

彼女は恥じらって顔を背けない。
微笑んで客を誘いもしない。

冷静に、真正面から鑑賞者を見返している。

まるで「あなたは何を見に来たのか」と問いかけるように。

裸体画を見る時、鑑賞者は安全な場所にいる。

絵の中の人物はこちらへ反論せず、
見られるための存在として横たわっている。
ところが《オランピア》では、見る者の側も見られている。

観客が不快に感じたのは、
裸を見たからだけではない。

裸の女性によって、
自分の欲望を見破られたように感じたからではないか。

《オランピア》は発表当時、激しい批判と嘲笑を浴びた。

だが現在では、近代美術を語るうえで欠かせない作品として、
フランスのオルセー美術館に所蔵されている。

昨日まで下品とされた女性が、
今では美術館の看板になっている。

作品は変わっていない。

変わったのは、それを見る社会の方だ。

《世界の起源》は、なぜ美術館に置かれているのか

さらに直接的な作品が、
ギュスターヴ・クールベの《世界の起源》である。

画面には、横たわる女性の胴体と両脚、
その中心にある性器が正面から描かれている。

顔は見えない。

神話上の女神でもなければ、
聖書の物語も付いていない。

性器をここまで直接的に描いた作品が、
現在ではフランスの国立美術館に堂々と展示されている。

では、なぜこれはポルノではなく芸術なのか。

クールベの絵画技法が優れているからか。
19世紀美術史の重要作品だからか。
著名な画家が描いたからか。
国立美術館が所蔵したからか。

おそらく答えは一つではない。

《世界の起源》は長い間、
個人の所有物として人目から隠されてきた。
広く一般へ公開され、オルセー美術館に収蔵されたのは
20世紀末になってからである。

絵自体は1866年からほとんど変わっていない。

それでも、個人の私室に隠されていた時と、
国立美術館の壁に掛けられた時とでは、
作品の意味が違って見える。

人は美術館に入ると、
作品を鑑賞し、考察し、美術史の文脈で理解しようとする。

同じ画像が突然スマートフォンの広告に表示されたなら、
まったく違う反応になるだろう。

ここから分かるのは、
わいせつ性が画像の中だけに存在するわけではないということだ。

どこに置かれ、誰が見て、何のために公開されているのか。

作品を囲む額縁や建物や説明文までが、
芸術とわいせつの境界線を作っている。

江戸の春画と、明治が輸入した「恥ずかしさ」

裸体表現の歴史を西洋だけで見ていると、
日本は昔から性に厳しい国だったように錯覚しやすい。

しかし江戸時代の日本には、
現代とはかなり異なる身体感覚があった。

その代表が春画である。

江戸の春画は、裸より服を残した

春画とは、江戸時代に
盛んに作られた性的な絵画や版画のことだ。

男女の性行為が大胆に描かれ、
性器は現実よりもはるかに大きく誇張される。

これだけ聞けば、
昔のポルノグラフィーと思える。

確かに性的な娯楽物という側面はあったが、
それだけでは春画の面白さを説明しきれない。

春画には会話があり、笑いがあり、失敗があり、
夫婦や恋人、遊女、僧侶、武士、町人など、
さまざまな人間模様が描かれている。

性行為そのものだけでなく、
周囲の人物の反応や、慌てた表情、
こっそりのぞく者、勘違い、
滑稽な体勢まで含めて楽しむ読み物だった。

現代の感覚で面白いのは、
人物が完全な全裸とは限らないことだ。

着物を大きくはだけながらも、
袖や帯、裾は残っている。

西洋の裸体画では、全身を美しく裸にしながら、
性器は目立たないよう処理されることが多い。

一方の春画では、服を着たまま性器だけが巨大に描かれる。

西洋では裸の全身が美の対象となり、
日本では衣服の乱れや行為の物語が官能性を作る。

どちらが進歩的で、
どちらが恥ずかしがり屋という話ではない。

恥ずかしいと感じる場所、
興奮を感じる見せ方が、
文化によって異なっていただけだ。

「裸は本能的に恥ずかしい」という常識すら、
かなり文化的に作られている。

明治政府は、街から裸を追い出した

江戸末期から明治初期の日本では、
地域や状況によって、
人前で肌をさらすことへの感覚が現代ほど厳しくなかった。

上半身を裸にして働く人、
混浴する男女、肌を露出したまま路上へ出る庶民もいた。

ところが明治政府は、
こうした習慣を次々と取締りの対象へしていく。

その背景には、近代国家として
欧米諸国にどう見られるかという問題があった。

当時の日本は、西洋列強と結んだ
不平等条約の改正を目指していた。

そのため政府は、日本が法や道徳を備えた
「文明国」であることを示そうとした。

路上の裸体、混浴、入れ墨、立ち小便、春画の販売などは、
欧米人から野蛮と見られかねない風俗として整理されていった。

明治初期には、現在の軽犯罪法に近い
「違式詿違条例」という取締規則も作られた。

名前は難しいが、内容は庶民の日常へかなり細かく口を出すものだった。

裸で歩くな。
往来で用を足すな。
男女で混浴するな。
入れ墨を見せるな。

政府は法令を通じて、
「近代的な公共空間では、どんな身体がふさわしいか」
を国民へ教え込もうとした。

もちろん、規則ができた翌日から、
日本人全員が裸を恥じるようになったわけではない。

庶民は新しい取締りを笑い話にし、戸惑い、
ときにはうまくごまかしながら受け入れていった。

恥じらいは、ある朝突然、
心の奥から湧き出したのではない。

警察、学校、新聞、世間の目を通じて、
少しずつ身体へ覚え込まされていった。

日本の名画に巻かれた「腰巻」

明治政府が街から裸を追い出そうとしていた頃、
日本の画家たちは西洋から裸体画を持ち込もうとしていた。

ここで大きな衝突が起きる。

路上の半裸を「文明国らしくない」と取り締まっている一方で、
展覧会場には西洋風の裸婦画が飾られる。

政府や警察からすれば、かなり扱いに困る状況だった。

黒田清輝は、明治時代を代表する画家である。

フランスへ留学して西洋画を学び、
帰国後は日本の近代洋画を発展させた。
現在では「近代日本洋画の父」と呼ばれ、
学校の美術教科書にも登場する。

ここでいう洋画とは、
西洋人が描いた絵という意味ではない。

油絵具やキャンバス、遠近法など、
西洋式の技法を用いて日本人が描いた近代絵画を指す。

黒田が日本へ持ち帰ったものの一つが、
本格的な裸体画だった。

西洋の美術教育では、
人体を観察し、筋肉や骨格を描くことは絵画の基礎とされる。

黒田にとって裸体画は、単なる性的な絵ではなかった。
日本へ「美術」という近代的な制度を根付かせるために必要な課題だった。

しかし当時の日本社会から見れば、
公の展覧会に裸の女性を飾る行為は、かなり刺激的だった。

1901年、絵に本物の布が掛けられた

1901年、東京で開かれた白馬会展に、
黒田の《裸体婦人像》が展示された。

その名の通り、裸の女性を描いた油絵である。

警察は作品をそのまま一般公開することを問題視し、
下半身を隠すよう求めた。

そこで主催者側は、
絵を塗りつぶしたり切り取ったりせず、
額縁の前へ布を掛けることで対応した。

女性の裸体を描いた絵の上に、
後から本物の布が垂らされている。

まるで展示会場で突然、
絵の中の女性へ腰巻を着せたような光景だ。

この出来事は、後に「腰巻事件」と呼ばれるようになった。

名前だけ聞くと笑い話のようだが、
当時の問題は単純ではない。

裸体画を全面的に禁止するのではなく、
専門家だけが見られる部屋へ置くならよい、
一般の観客へ自由に見せるのは問題だ、という発想もあった。

つまり、争点は絵の中身だけではなかった。

誰が見るのか。
どこで見るのか。
知識のある専門家なのか。
女性や子どもを含む一般の観客なのか。

現代風に言えば、ゾーニングの問題だった。

1901年の警察も、いきなり作品を焼き捨てようとしたわけではない。
「見る人を限定しろ」「見える部分を隠せ」と求めた。

それでも結果として、美術作品は物理的に覆われた。

芸術を守るには「見る自由」も必要になる

当時の警察は、
公序良俗を守っているつもりだったのだろう。

一般市民が裸体画を見て
道徳的に悪影響を受けないよう、
善意で動いていた可能性もある。

しかし現在、《裸体婦人像》は
近代日本美術の歴史を語る作品として扱われている。

一方、絵へ布を掛けた対応は、
「当時の社会は裸体画を理解できなかった」
という象徴的な出来事として記憶されている。

規制する側は、その瞬間には常識を守っているつもりでも、
後世から見れば文化を覆い隠した側になることがある。

ここに表現規制の怖さがある。

ある作品を不快だと感じる人には、見ない自由がある。

しかし、作品そのものを隠したり、
発表できなくしたりすれば、
見たい人、考えたい人、評価したい人の自由まで奪われる。

表現の自由は、作者だけの権利ではない。

受け手が作品へ触れ、自分で判断するための自由でもある。

裁判所は「わいせつ」を定義できたのか

美術館や警察だけでなく、
裁判所も芸術とわいせつの境界線に悩んできた。

裁判官は、法律を使って
「これは芸術」「これはわいせつ」と判断しなければならない。

だが、人間の羞恥心や性欲を
法律の文章で区切るのは、想像以上に難しい。

『チャタレイ夫人の恋人』と「わいせつ三要件」

日本のわいせつ表現をめぐる
代表的な裁判が、チャタレー事件である。

問題となった『チャタレイ夫人の恋人』は、
イギリスの作家D・H・ロレンスによる小説だ。

上流階級の既婚女性と、
労働者階級の男性との関係を通じて、
愛、性、階級社会、人間らしい生を描いた
20世紀文学の重要作品である。

日本では、その翻訳版に含まれる
露骨な性描写が問題となり、
翻訳者と出版社の責任者が刑事裁判にかけられた。

最高裁は、わいせつ性について、
おおむね三つの基準を示した。

性欲を刺激、興奮させること。
一般人の正常な性的羞恥心を害すること。
善良な性的道義観念に反すること。

難しい言葉を乱暴に訳せば、

「ムラムラさせ、恥ずかしいと感じさせ、
世間の性道徳にも反するもの」

ということになる。

一見すると分かりやすい。

しかし少し考えると、疑問が次々に出てくる。

「一般人」とは誰なのか。

どの時代、どの地域、どの年齢の人間を基準にするのか。

性欲を刺激する文学はすべて問題なのか。

何を恥ずかしいと感じるかは
、人によって違うのではないか。

そして「善良な性道徳」を、誰が決めるのか。

判決は社会通念を基準にすると考えた。

だが社会通念とは、法律の条文のように
紙へ書かれているものではない。

結局、裁判官が「現在の社会では、これが普通だろう」
と判断することになる。

境界線は客観的な定規で測られるのではなく、
その時代の常識を背負った人間によって引かれる。

芸術性があっても無罪にはならない

チャタレー事件では、
作品に文学的、芸術的価値があっても、
それだけでわいせつ性が消えるわけではないとされた。

芸術なら何でも許される、
という理屈を否定した形だ。

確かに、「これは芸術だ」と作者が言い張るだけで、
あらゆる行為や表現が無条件に許されるわけではない。

しかし反対から見れば、
国家が芸術性を評価し、
芸術的価値があっても処罰できるということでもある。

その後の四畳半襖の下張事件では、
露骨な性的描写だけを切り取るのではなく、
作品全体の構成や文体、芸術性、思想性が、
性的な刺激をどこまで弱めているかも考慮された。

少しずつ、「問題のある数行があるから有罪」
と機械的に決めるのではなく、
作品全体を見ようとする考え方が強まったのである。

ただし、これでも境界線が
完全に明確になったわけではない。

作品全体を見ればよい、と言っても、
何をどう評価するかは人間に委ねられる。

芸術性が刺激を弱めるのか。
それとも、芸術的に美しく描かれているからこそ刺激が強まるのか。

判断する人によって、結論は変わり得る。

メイプルソープ写真集は、国境でわいせつになった

ロバート・メイプルソープは、
花、人物、男性裸体、性的なモチーフ
などを撮影したアメリカの写真家である。

整えられた構図と彫刻のような肉体表現で高く評価される一方、
男性器や性的な場面を撮影した作品は各国で論争を呼んだ。

日本でも、彼の写真集をめぐる裁判が起きた。

興味深いのは、その写真集が
すでに日本国内で出版、販売されていたことだ。

所有者が写真集を持って海外へ出かけ、
再び日本へ戻ってきたところ、
税関で輸入を止められた。

国内の書店では買える。

国立国会図書館でも閲覧できる。

しかし、一度海外へ持ち出してから戻ると、
「風俗を害する物品」として国境で止められる。

同じ本なのに、日本国内では存在でき、
空港の税関では問題になる。

これほど「場所によって境界線が動く」ことを
分かりやすく示す例もない。

最終的に最高裁は、
性器が写っている数枚だけを見るのではなく、
写真集全体の構成、芸術作品としての評価、
問題となる写真の比重、表現方法などを総合し、
輸入禁止の対象には当たらないと判断した。

一枚だけを切り取れば露骨に見えても、
写真集全体では別の意味を持つ。

絵や写真がわいせつかどうかは、
画像の中だけで決まらない。

前後のページ、作者の表現意図、
鑑賞される場所、社会的な評価、作品全体の構成。

そうした周囲の文脈が、見え方を変える。

腰巻事件は終わっていなかった

黒田清輝の裸体画へ布が掛けられたのは1901年。

さすがに現代の美術館では、
そんなことは起きないと思いたくなる。

ところが、よく似た出来事が100年以上後にも起きている。

113年後、写真にも布が掛けられた

2014年、愛知県美術館で
写真家・鷹野隆大の作品が展示された。

鷹野は、身体や性、
男女の境界などを主題にする日本の写真家である。

展示作品には、男性の裸体や
性器が写った写真が含まれていた。

美術館側は、刺激の強い作品があることを事前に知らせ、
展示室をカーテンで区切るなどの対応をしていた。

それでも通報を受けた愛知県警は、
作品が刑法上のわいせつ物陳列に当たる可能性を指摘し、
撤去を求めたとされる。

美術館は完全撤去には応じず、
作品の一部を布や半透明の紙で覆った。

1901年には油絵へ布が掛けられた。

2014年には写真へ布や紙が掛けられた。

作品の内容も、時代背景も、
警察の対応の根拠も同じではない。

それでも、「公衆へ見せてよい裸とは何か」
「撤去するのか、隠すのか」
「誰なら見てよいのか」という構図は驚くほど似ている。

人類は技術を進歩させ、油絵から写真、
写真からインターネットへ媒体を変えてきた。

しかし裸をめぐる揉め方は、あまり進歩していない。

ゾーニングと表現規制は同じではない

ここで、すべての性的表現を
無制限に公開すべきだ、という話にする必要はない。

子どもの目に突然入らないようにする。
見たくない人が避けられるよう注意を表示する。
年齢によって販売場所を分ける。
刺激の強い展示を別室に置く。

こうしたゾーニングは、
表現そのものを消すこととは違う。

社会にはさまざまな年齢、価値観、
宗教観を持つ人が暮らしている。
場所や見せ方を工夫することは、
表現を社会の中で共存させるためにも必要だろう。

問題は、「誰かが不快に感じる可能性がある」という理由だけで、
作品自体を存在できなくすることだ。

不快という感情は重要だが、非常に幅が広い。

裸体を不快に感じる人もいれば、
暴力表現を嫌う人もいる。
政治的な主張、宗教への批判、
差別を告発する表現、
少数者の存在そのものを不快だと言う人もいる。

不快を規制の基準にすれば、
境界線はどこまでも広がる。

必要なのは、見たくない人が避けられる環境であって、
誰も見ることができない社会ではない。

なぜ「不快な表現」まで守る必要があるのか

表現の自由という言葉は、
きれいすぎて実感しにくい。

誰もが感動する名画、美しい音楽、
心温まる小説を守ることに反対する人は少ない。

だが、そうした作品は放っておいても守られやすい。

表現の自由が本当に必要になるのは、
誰かにとって不快で、理解しづらく、
下品で、危険に見える作品が現れた時だ。

名画は最初から名画だったわけではない

《オランピア》も、
《草上の昼食》も、
現在では美術史の重要作品である。

しかし発表時には、嘲笑され、下品だと批判された。

黒田清輝の裸体画も、
現在では教科書的な作品だが、
当時は一般客に見せるべきではないとされた。

《世界の起源》も、
長い間ひそかに所有され、
現在では国立美術館に展示されている。

表現が社会の常識を超えた時、
最初に与えられる名前は「革新的」や「歴史的傑作」ではない。

「不快」「悪趣味」「わいせつ」
「危険」「子どもに悪い」と呼ばれることが多い。

もちろん、不快な作品がすべて
未来の名作になるわけではない。

大半は忘れられるかもしれない。

しかし、どの作品が後世に価値を持つかを、
発表された瞬間の行政や警察や世論が完全に判断することもできない。

規制によって守られるのは、現在の常識である。

一方、規制によって失われるかもしれないのは、
未来の常識を作る表現だ。

「有害」という言葉は便利すぎる

現代では、漫画、写真、広告、
ゲーム、動画などに対して
「有害」という言葉が使われる。

青少年へ悪影響がある。
社会的に不適切だ。
公共の場にふさわしくない。

こうした問題提起自体は必要である。

だが、「何が、誰に、どのような悪影響を与えるのか」を
具体的に考えず、有害という言葉だけで作品を排除し始めると危うい。

有害は便利な言葉だ。

害の内容を詳しく説明しなくても、
危険な印象だけを与えられる。

しかも規制は、最初から
巨大な言論弾圧として現れるとは限らない。

「少し刺激が強すぎるから」
「子どものためだから」
「苦情が来るかもしれないから」

多くの場合、善意や配慮から始まる。

そして曖昧な基準が一度作られると、
作家、出版社、美術館、広告会社、ウェブサービスは、
処罰や炎上を恐れて必要以上に表現を控えるようになる。

命令される前に、自分たちで消す。
これが自主規制の連鎖である。

法律で禁止されていなくても、
「問題になりそうだからやめておこう」という空気が表現を狭めていく。

その結果、最も影響を受けるのは、大企業や有名作家ではない。

弁護士を雇う資金も、社会的な権威も持たない、
小さな出版社、無名の作家、若い表現者たちだ。

わいせつの境界線は、誰が引くのか

ネット上の性的広告をどこへ表示するか。

子どもの目に触れないよう、
どんな仕組みを作るか。

刺激の強い漫画や写真集を、
どの売り場へ置くか。

こうした議論は必要だ。

見たくない人へ無理に見せる自由まで、
表現の自由に含まれるわけではない。

しかし歴史を振り返ると、
社会は何度も判断を誤ってきた。

古代の英雄的裸体は、
後世にイチジクの葉で隠された。

ミケランジェロの《最後の審判》には、
画家の死後に腰布が描き足された。

《オランピア》は下品だと罵られたが、
現在は国立美術館の名画になった。

黒田清輝の裸体画には、本物の布が掛けられた。

国内で販売されていた写真集は、
国境でわいせつ物と判断された。

2014年の美術館でも、
裸体写真が布と紙で覆われた。

わいせつの境界線は、
石に刻まれた普遍のルールではない。

時代の常識と権力が、
その都度引き直してきた鉛筆の線だ。

だからこそ、線を引く側には慎重さが求められる。

見たくない人が避けられる仕組みは作れる。
子どもと大人の空間を分けることもできる。
注意表示や年齢確認を整えることもできる。

だが、表現そのものを消してしまえば、
後世の人間はそれを見て、考え、
批判し、評価する機会さえ失う。

作品に価値があるかどうかは、
警察や行政が最初から決めるものではない。

社会の中で議論され、批判され、忘れられ、
ときには再評価されながら決まっていく。

芸術や言論の自由が本当に試されるのは、
誰もが心地よく感じる表現を守る時ではない。

少し不快で、理解しづらく、今の常識からはみ出した表現を、
それでも残せるかどうかだ。

名画にパンツを履かせ、油絵へ腰巻を巻き、
写真へ紙を貼ってきた歴史は、そのことを何度も教えている。

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