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69は究極の物々交換なのか――「欲望の二重の一致」から考える性と貨幣の経済学

69は究極の物々交換なのか――「欲望の二重の一致」から考える性と貨幣の経済学

人間一人が生きるためには、
あまりにも多くのものを必要とする。

食べ物がいる。
衣服がいる。
家がいる。
道具がいる。
しかも、そのすべてを
自分一人で作ろうとすれば人生が終わる。

そこで人間は、役割を分けた。

パンを焼く者がいる。
靴を作る者がいる。
魚を捕る者がいる。
それぞれが得意なものを作り、
自分に足りないものを他人から受け取る。

アダム・スミスが『国富論』で論じた「交換性向」は、
こうした人間社会の分業を考えるうえで重要な発想になった。

自分が相手の欲しいものを渡し、
相手から自分の欲しいものを受け取る。

交換とは、社会を動かす非常に古い装置である。

そして性行為の世界にも、
これと驚くほどよく似た構造が存在する。

69、シックスナイン。

二人が互いにオーラルセックスを行い、
一方的にサービスを提供するのではなく、
双方が同時に「する側」と「される側」になる体位だ。

経済的に眺めると、この構造はなかなか特殊である。

買い手が二人。
売り手も二人。

しかし市場参加者は二人しかいない。
しかも現金は動かない。

片方が代金を払い、
もう片方がサービスを提供するわけでもない。

双方が自分の身体と労力を投入しながら、
同時に相手からサービスを受け取る。

つまり69とは、需要者と供給者が
完全に重なった二者間市場である。

ここまで対称的な交換制度は、
現実の市場でもそう多くない。

では69とは、性行為史上
もっとも完成度の高い物々交換なのだろうか。

物々交換には「相手探し」という致命的な問題がある

物々交換は、貨幣を使わず、
商品やサービスを直接交換する仕組みだ。

魚と米。
布と道具。
労働と食料。

構造自体は単純だが、
実際にやろうとすると大きな問題が出てくる。

経済学ではこれを
「欲望の二重の一致」と呼ぶ。

少々難しそうな名前だが、意味は簡単だ。

たとえばAが魚を持っていて、
靴を欲しがっているとする。

交換するには、
靴を持っているBを探せばいい。

だが条件はそれだけではない。

Bもまた、Aの持っている魚を
欲しがっていなければならない。

A「靴が欲しい」
B「魚が欲しい」

この二つの欲望が同時に一致して、
初めて直接交換が成立する。

Bが米を欲しがっていたら、
Aの魚はどれだけ新鮮でも決済手段にならない。

これが物々交換の厄介さだ。

相手が自分の欲しいものを持っているだけでは足りない。
相手もまた、自分の持っているものを欲している必要がある。

69は「欲望の二重の一致」を開始条件にしている

69をこのモデルに当てはめると、
条件は非常に美しい。

AはBからオーラルセックスを受けたい。
BもAから受けたい。

さらにAはBへ提供する意思があり、
BもAへ提供する意思がある。

需要と供給が双方で一致する。

これで市場が開く。

普通の物々交換では、
交換相手を見つけること自体が難題になる。

ところが69では、交換可能性が成立していることが
行為の開始条件になっている。

言い換えれば、物々交換最大の弱点を、
参加資格の段階で処理している。

魚市場なら魚を欲しがらない
靴職人と遭遇する可能性がある。

69には、その問題が存在しない。

双方の需要が一致しない限り、
そもそも69として始まらないからだ。

市場設計としては非常に潔い。

貨幣が解決した問題を、69は身体だけで処理する

では、なぜ人類は
貨幣を使うようになったのか。

古典的な説明では、
貨幣には物々交換の不便を減らす役割がある。

先ほどの魚と靴で考えると分かりやすい。

Aは魚を持っている。
しかし靴職人Bは魚を欲しがっていない。

このままでは交換できない。

そこでAは、魚を欲しがるCへ売り、
代わりに貨幣を受け取る。

そしてその貨幣を持って
Bのところへ行き、靴を買う。

魚
↓
貨幣
↓
靴

こうすることで、
「魚を欲しがる靴職人」を探す必要がなくなる。

貨幣は交換の間に入り、
欲望の一致を分解してくれる。

経済学では、こうした役割を交換媒介機能という。

要するに貨幣は、
「交換したい二人の欲望が
完全に噛み合っていなくても取引できるようにする仲介役」だ。

ところが69では、その仲介役が必要ない。

双方の欲望が最初から噛み合っているからである。

69には決済待ちがない

通常の物々交換でも、

「まず魚を渡す」
「次に靴を受け取る」

という順番がある。

先に渡した側には、一瞬とはいえ
「本当に相手も渡してくれるのか」
という信用問題が発生する。

69はここでも特殊だ。

サービスの提供と受領が、ほぼ同時に進む。

Aが供給している時間に、
Aは同時に需要者でもある。

Bも同じだ。

給付と反対給付が並列処理される。

債権を持ったまま翌日に持ち越す必要がない。

請求書もいらない。
支払期日もない。

交換が成立している限り、
サービスはその場で相殺され続ける。

金融の言葉を借りれば、
リアルタイム決済型の物々交換である。

貨幣がなくても交換は成立する。
双方の需要と供給が、その場で一致しているからだ。

69は「物々交換」だけでは説明しきれない

ここまでの条件だけを見るなら、
69はかなり純度の高い直接交換に見える。

双方が欲しいサービスを持っている。
双方がそれを相手へ提供できる。

貨幣を挟まず、その場で交換が成立する。
物々交換のモデルとしては非常に美しい。

ただ、69をもう少しよく見ると、
「商品Aと商品Bを交換する」だけでは
説明しきれない部分がある。

たとえば魚と靴の交換なら、
魚を渡し、靴を受け取れば取引は終わる。

ところが69では、
相手へサービスを提供する行為
そのものが続いているあいだ、
自分もサービスを受け取り続ける。

しかも二人の関係は、交換終了と同時に消滅するわけではない。

恋人やパートナーなら、
今回の69だけを切り取って
「どちらが何分多く提供したか」を完全清算する必要もないだろう。

ここで69は、単純な物々交換から少し離れ始める。

経済人類学では、
人間同士の価値のやり取りは市場交換だけではなく、
贈与や貸し借り、信用、そして互酬と呼ばれる関係でも
成立してきたと考えられている。

なお、貨幣以前の社会が
すべて純粋な物々交換だった、
という単純な歴史像には異論も多い。

だが69にとって重要なのは、
人類が物々交換と貨幣のどちらを先に使ったかではない。

重要なのは、二人の間で価値をやり取りするとき、
毎回その場で完全な等価交換を成立させる必要があるのかという点だ。

もし、

今日は自分が多く与える。
別の日には相手が多く与える。
それでも長い関係の中では釣り合っている。

という交換が成立するなら、
69は単なる物々交換より、むしろ
「互いに与え合う関係」の一形態として見たほうが面白くなる。

そして69には、その互いに与え合う仕組みを、
ほぼ同時刻に実行するという特徴がある。

贈与なら返礼まで時間が空く。
69では、その返礼がすでに始まっている。

69は物々交換より「互酬」に近いのか

経済人類学には
互酬(ごしゅう)という考え方がある。

簡単に言えば、

何かを与えられたら、
何らかの形で返す関係

のことだ。

ただし、スーパーの会計のように、
その場で1円単位まで帳尻を合わせる必要はない。

親しい相手から食事をごちそうされた。
その場で半額を送金するのではなく、
次回はこちらが払う。

友人に引っ越しを手伝ってもらった。
時給を精算するのではなく、
相手が困ったときに手を貸す。

市場取引ではないが、
関係の中では交換が続いている。

マルセル・モースの贈与論でも、
贈与には「与える」「受け取る」「返礼する」
という循環があると考えられた。

この視点から69を見ると、
非常に珍しい仕組みになる。

69は「与える・受け取る・返す」を同時処理する

通常の贈与や互酬には時間差がある。

今日、与える。
今日、受け取る。
返礼は後日。

ところが69では違う。

与える。
受け取る。
返す。

この三つが同じ時間帯に進行する。

互酬関係に存在していた時間差が
ほとんど消えている。

相手への給付によって生まれた債務が、
その瞬間から相手の給付によって清算され続ける。

言ってみれば、
互酬経済へ即時決済システムを導入した状態だ。

市場取引なら代金を払えば取引は終了する。
贈与なら返礼まで関係が残る。

69は関係性を保ったまま、
交換部分だけを限りなくリアルタイムで均衡させようとする。

この意味では、69は単純な物々交換よりも
ずっと複雑な制度である。

69は「性行為史上もっとも完成度の高いフェアトレード」なのか

構造だけ見れば、
69はきわめて公平に見える。

双方が与える。
双方が受け取る。

同じ時間。
同じ場所。

同じカテゴリーのサービス。

一方だけが労働し、
もう一方だけが利益を得る構造ではない。

その意味では、
「性行為史上もっとも完成度の高いフェアトレード」と呼びたくなる。

ただし、経済学や社会心理学で考える公平性は、
それほど単純ではない。

ここで関係してくるのが衡平理論だ。

衡平とは、単純な「半分ずつ」とは違う。

重要なのは、各自が投入したものと、
得られたもののバランスだ。

10分対10分なら平等。

しかし、平等だから公平とは限らない。

同じ10分でも、価値は同じではない

69では、双方が同じ時間
サービスを提供しているように見える。

だが投入されるものは時間だけではない。

疲労がある。
技術差がある。
集中力がある。
好みがある。

する側として感じる楽しさにも個人差がある。
そして、受け取る側が得る快楽にも差がある。

Aにとって10分間の提供コストが「20」だとして、
得られる満足が「100」かもしれない。

Bにとっては提供コストが「50」で、
得られる満足が「60」かもしれない。

行為時間は完全に同じでも、
収支は一致しない。

つまり69は、構造的には対称でも、
効用は対称とは限らない。

ここでいう効用とは、
経済学で使う「その人がどれだけ満足や価値を感じるか」という意味だ。

同じサービスでも、人によって価値は違う。

コーヒー一杯に500円払う人もいれば、
高いと感じる人もいる。

性的サービスならなおさらだ。

時間を通貨にしても公平は測れない。
労力を通貨にしても難しい。

快楽を通貨にしようとすれば、
そもそも単位が存在しない。

69は公平そうに見える。

しかし正確に価格を付けようとした瞬間、
極端に難しい市場へ変わる。

親密な関係では「完全清算しないこと」に意味がある

さらに問題は続く。

恋人やパートナーとの関係を、
毎回の損得だけで評価することはできるのだろうか。

人間関係を報酬とコストから考える
社会的交換理論では、人は関係の中で何を得て、
何を負担しているかをある程度評価すると考える。

だが親密な関係には、
市場とは違う特徴がある。

市場なら、

商品を受け取る。
代金を払う。
債務は消える。
それで終了だ。

親密な関係では、必ずしも毎回そうならない。

昨日は自分が多く与える。
今日は相手が多く与える。
疲れている日は何もしない。
別の日には多く応える。

それでも関係全体として双方が満足しているなら、
一回ごとの収支をゼロにする必要はない。

恋愛にリアルタイム精算は必要なのか

親密な関係では、
相手から受け取った利益を即座に同量返すことより、
相手が必要としていることに
応えるほうが重要になる場合がある。

性的関係についても、
「相手の性的ニーズに応えようとする動機」が研究されている。

ここでの「ニーズ」は、
したいという欲求だけではない。

今日はしたくない。
疲れている。
気分ではない。

そうした状態を尊重することも含まれる。

この視点に立つと、
69の完璧な同時交換には別の顔が見えてくる。

双方が同じ瞬間に
同じだけ与えることは、たしかに対称的だ。

しかし親密な関係で重要なのは、
毎回対称であることとは限らない。

今日は一方が与えるだけでもいい。
別の日は逆でもいい。
何も交換しない日があってもいい。

長い関係の中で互いのニーズが満たされているなら、
その都度市場を閉じる必要はない。

むしろ、毎回完全に清算しようとするほうが、
市場的すぎるとも言える。

「昨日8分だったから今日は不足分2分を追加する」

という会計処理が始まれば、
親密さより帳簿の完成度が高くなる。

結局、69は物々交換なのか

経済学の教科書的なモデルだけで見るなら、
69は非常に美しい直接交換だ。

双方が相手の欲しいサービスを持っている。
双方が相手のサービスを欲しがっている。

つまり「欲望の二重の一致」が成立している。

貨幣はいらない。
仲介者もいらない。
取引相手を探し回る必要もない。
しかも給付と反対給付は同じ時間に進む。

物々交換の弱点を、
かなりの部分まで構造そのもので処理している。

その意味では、69は
直接交換市場として非常に完成度が高い。

だが人類学まで視野を広げると、
単純な物々交換という呼び方では足りなくなる。

人間の経済は、市場だけで動いてきたわけではない。

贈与があり、信用があり、貸し借りがあり、
互酬があり、関係そのものが価値移転を支えてきた。

親密な関係も同じだ。

与える。
受け取る。
その場で返すこともある。
別の日に返すこともある。
場合によっては、返礼を求めずに与えることもある。

すると69の完成度は、
「完全な等価交換だから」ではない。

二人が同じ瞬間に、

需要者であり、供給者であり、
与える側であり、受け取る側でもある。

その対称性にある。

市場では、需要と供給の一致を探す必要がある。
物々交換では、欲望の二重の一致が
成立する相手を探さなければならない。

69では、その一致を開始条件にしている。
貨幣がなくても交換は成立する。
問題は、双方の需要が同じ時刻に一致するかだけである。

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