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江戸時代、町の若旦那の初体験「筆おろし」は、
吉原遊郭で経験することが多かったといわれています。
落語「明烏」にも描かれているように、
遊郭は若者が大人の世界を知る場所でもあったというのは
前回のコラムで取り上げました。
では、日本の頂点に立つ存在だった徳川将軍の場合はどうだったのでしょうか。
さすがに将軍が吉原へ出かけるわけにはいきません。
その代わりに存在していたのが、将軍の私生活を支える女性の世界――大奥です。
今回は、庶民とはまったく違っていた
徳川将軍家の筆おろし事情について、
歴史の裏側をのぞいてみましょう。
将軍は遊郭に行けなかった
江戸庶民の男性であれば、吉原遊郭に足を運び、
遊女との時間を通して男女の関係を知ることもありました。
しかし将軍の場合は事情がまったく違います。
将軍は幕府の最高権力者であり、
江戸城の外へ自由に出歩くことすら簡単ではありませんでした。
当然ながら、町の遊郭へ遊びに行くことなど不可能です。
さらに将軍には、単なる恋愛や遊び以上に重要な使命がありました。
それは徳川家の跡継ぎを残すことです。
つまり将軍にとって男女の関係は、
個人的な楽しみというよりも、
家を存続させるための重要な役割でもありました。
そのため将軍の筆おろしは、庶民とはまったく違う場所で行われます。
将軍の初体験は「大奥」で行われた
将軍の私生活の舞台となったのが、
江戸城の奥深くにあった女性の世界、大奥です。
大奥には
・御台所(将軍の正妻)
・側室
・女中
・侍女
など、多くの女性が生活していました。
将軍の筆おろしも、この大奥の中で行われることが
一般的だったといわれています。
相手となる女性は、将軍より年上の女性や経験のある女中である場合が多く、
若い将軍が戸惑わないよう配慮されていたと考えられています。
つまり将軍の初体験は、ある意味で
**大奥の女性たちによる「性教育」**でもあったのです。
将軍の結婚は恋愛ではなかった
将軍の結婚は、庶民の恋愛とはまったく違う意味を持っていました。
正妻である御台所は、主に朝廷や公家、
あるいは有力大名の家から迎えられます。
これは政治的な意味を持つ婚姻であり、家と家を結ぶ重要な関係でした。
そのため、御台所が将軍の初体験の相手になるとは限りません。
むしろ将軍の子どもは、側室が産むことの方が多かったとされています。
大奥には、将軍の後継者を産む可能性のある女性が
複数存在しており、その中から世継ぎが生まれる仕組みでした。
将軍の子どもは驚くほど多かった
徳川将軍の中でも特に有名なのが、
11代将軍・徳川家斉です。
家斉は江戸時代でも屈指の子だくさんの将軍として知られており、
・子どもの数
50人以上
ともいわれています。
これは
・側室の人数
・将軍の立場
・跡継ぎ確保
といった事情が重なった結果でした。
そのため大奥では、将軍と女性が会う日程や順番などが
細かく管理されていたともいわれています。
庶民の筆おろしと将軍の筆おろしの違い
ここまで見てくると、庶民と将軍では
筆おろしの環境が大きく違っていたことが分かります。
庶民の場合
・吉原遊郭
・遊女との一夜
・遊びと経験
一方で将軍の場合は
・江戸城の大奥
・女性が用意される
・後継者問題が関わる
つまり将軍の男女関係は、個人的な恋愛というよりも、
政治と家の存続に関わる問題でもあったのです。
江戸の性文化は身分によって大きく違った
江戸時代の男女関係は、
現代とはかなり違った形で存在していました。
庶民の若者は遊郭で大人の世界を知り、
将軍は大奥という閉ざされた世界で初めて女性と向き合う。
同じ江戸の時代でも、身分によってその形は大きく違っていたのです。
しかし共通しているのは、
男女の関係が単なる欲望だけではなく、
社会や文化の中で一定の役割を持っていたということかもしれません。
吉原の華やかな世界も、大奥の静かな世界も、
どちらもまた江戸という時代を象徴する場所だったのです。
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