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【連続コラム:M男論-第一回-】M願望は責任逃れなのか?“下になりたい男”の心にある、委ねる快楽

【連続コラム:M男論-第一回-】M願望は責任逃れなのか?“下になりたい男”の心にある、委ねる快楽

仕事では、判断を求められる。
人間関係では、空気を読まされる。
金のこと、将来のこと、立場のこと、プライドのこと。

男は意外と、毎日どこかで
「ちゃんとしている自分」を演じている。

弱音を吐かず、余裕があるふりをして、
できる男の顔をして、何でもないように振る舞う。
本当は疲れていても、「大丈夫」と言う。
本当は誰かに決めてほしくても、「俺がやる」と言う。
本当は甘えたい日があっても、そんな顔はなかなか見せられない。

そんな男が、ふと、思ってしまう。

誰かに命令されたい。
何も考えずに従いたい。
強がる自分を脱がされたい。
上に立つのではなく、下に置かれたい。

いわゆる、M願望。

ではそれは、ただの責任逃れなのだろうか。
人生から逃げたい、現実から逃げたい、
面倒なことを全部誰かに押しつけたい。
そんな弱い男の欲望なのだろうか。

たしかに、そう見える部分はある。

けれど、M男の心の奥をもう少し覗いてみると、
話はそこまで単純ではない。
M願望の奥にあるのは、責任を捨てたい気持ちというより、
責任を背負い続けている自分を、
一度だけ誰かに預けたい
という欲望なのかもしれない。

M願望は「異常」ではなく、人間らしい欲望の濃い形かもしれない

まず最初に言っておきたいのは、
M願望があるからといって、
それだけでおかしいわけではない、ということだ。

「支配されたい」
「命令されたい」
「責められたい」
「下に見られたい」

こう並べると、少し危うい欲望に聞こえるかもしれない。
自分でも、「俺、大丈夫か?」と思ったことがある人もいるだろう。

でも、人間の欲望はもともと、
きれいに説明できるものばかりではない。

人から褒められたい。
誰かに必要とされたい。
守られたい。
甘やかされたい。
自分を見抜かれたい。
何もかも忘れて、誰かに身を任せたい。

こうした気持ちは、多くの人の中に少しずつある。

M願望は、その中でも特に
「委ねたい」「下になりたい」
「自分を手放したい」という欲望が、
濃い形で現れたものとも言える。

もちろん、本人が苦しんでいたり、
生活に支障が出ていたり、
危険な行為に向かってしまうなら話は別だ。
でも、合意のある関係や安全な場の中で、
自分のMっ気を楽しむこと自体を、
すぐに病気や異常と決めつける必要はない。

むしろ、M願望にはかなり人間くさい部分がある。

誰だって、ずっと強い自分ではいられない。
誰だって、ずっと正しい判断をし続けるのはしんどい。
誰だって、たまには「もう何も決めたくない」と思う夜がある。

M男は、その気持ちを少しエロく、少し濃く、
少し極端な形で味わいたい男なのかもしれない。

「責任から逃げたい男」と「責任を預けたい男」は違う

M願望は、よく「責任からの逃避」と見られがちだ。

たしかに、M男は自分で決めるより、決められることに興奮する。
命令するより、命令される方に惹かれる。
主導権を握るより、主導権を奪われる方にゾクッとする。

それだけ聞くと、責任を取りたくない男のようにも見える。

でも、ここで大事なのは、
現実の責任逃れと、SMの中で責任を預けることは違うということだ。

現実の責任逃れとは、
自分がやるべきことを他人に押しつけること。
失敗を認めず、誰かのせいにすること。
向き合うべき問題から逃げて、周りに迷惑をかけること。

それはただの責任転嫁だ。

けれど、M願望の中にある「預けたい」は、それとは少し違う。

M男は、人生そのものを誰かに丸投げしたいわけではない。
仕事も、人間関係も、生活も、
全部放り出して誰かに面倒を見てほしいわけではない。

ただ、限られた時間の中で。
安全な場の中で。
信頼できる相手の前で。

自分の判断、自分のプライド、自分の役割を一度だけ預けたい。

「どうすればいい?」と考えなくていい。
「正しく振る舞わなきゃ」と気を張らなくていい。
「男らしくしなきゃ」と背筋を伸ばさなくていい。

ただ、言われた通りにする。
ただ、受け入れる。
ただ、相手の声に従う。

その時間だけ、日常の自分から降りられる。

M男が欲しがっているのは、
責任を捨てることではなく、
責任を持ち続ける自分を一時停止することなのかもしれない。

男はなぜ“下になること”に惹かれるのか

男は、何かと「上」に立たされやすい。

リードしろ。
稼げ。
頼られろ。
動じるな。
弱音を吐くな。
女々しくなるな。
情けないところを見せるな。

もちろん、時代は変わってきている。
昔よりは、男も弱さを出していいと言われるようになった。

それでも、多くの男の中にはまだ、
「ちゃんとした男でいなければ」という圧が残っている。

仕事では成果を求められる。
恋愛では余裕を求められる。
家庭では頼もしさを求められる。
友人の前では、冗談で弱さを隠す。

そうやって、男は少しずつ鎧を着る。

でも、鎧は重い。

強い男のふり。
余裕のある男のふり。
傷ついていない男のふり。
何でも自分で決められる男のふり。

その鎧を、誰かに剥がされたい夜がある。

M男にとって“下になる”とは、単に負けることではない。
社会で求められてきた「上に立つ男」を一度やめることでもある。

支配される。
命令される。
従わされる。

それは表面的には、自由を失うことに見える。
けれどM男にとっては、逆に「自由でいなくていい自由」でもある。

自分で選ばなくていい。
自分で決めなくていい。
自分で場を動かさなくていい。
自分で格好つけなくていい。

下になることで、ようやく息ができる男がいる。

それは弱さだろうか。
たしかに、弱さの一種ではあるのかもしれない。

でも、人間には弱さを出せる場所が必要だ。
いつも強がっている男ほど、
誰かの前で完全に負けられる時間を欲しがることがある。

M男は、負け犬になりたいのではない。
勝ち続ける自分に疲れているのだ。

M男が欲しいのは、痛みよりも「考えなくていい時間」かもしれない

M願望というと、すぐに痛みを想像する人もいる。

叩かれたい。
縛られたい。
責められたい。
苦しめられたい。

たしかに、それもMの世界の一部だ。
痛みや羞恥が、特殊な興奮につながることはある。

でも、M男の欲望を
「痛いのが好きなんでしょ?」だけで片づけると、少し浅い。

M男が本当に欲しがっているのは、
痛みそのものというより、
痛みや命令や支配によって生まれる、
考えなくていい状態なのかもしれない。

日常では、頭がうるさい。

明日の予定。
仕事の段取り。
相手の機嫌。
自分の評価。
お金の不安。
失敗したときの言い訳。
誰にも見せない劣等感。

男の頭の中は、意外とずっとしゃべっている。

そんな頭の声が、命令ひとつで静かになる。

「こっちを見なさい」
「動かないで」
「言う通りにして」

その瞬間、考える必要がなくなる。
自分を守る必要も、格好つける必要も、
先回りして正解を探す必要もない。

ただ、その声に従えばいい。

M男にとって支配される快感とは、
脳みそを休ませる快感でもある。
普段ずっと自分を管理している男が、
自分の管理権を一時的に渡す。
それは、かなり深い解放だ。

「何も考えたくない」
「全部決めてほしい」
「自分を手放したい」

そう思う夜は、決して珍しくない。
M願望は、その気持ちがエロと結びついたときに生まれる、
濃密な逃げ場所なのだろう。

ただし、それは現実を壊す逃避ではない。
現実に戻るための、短い避難所に近い。

背負い続けるために、一度だけ降ろす。
立ち続けるために、一度だけ崩れる。
強がり続けるために、一度だけ弱くなる。

M男の快楽には、そんな矛盾した優しさがある。

支配される快感は、信頼がなければ成立しない

ただし、ここで勘違いしてはいけないことがある。

支配されたいからといって、
誰にでも支配されたいわけではない。

命令されたいからといって、
誰の命令でもいいわけではない。

下になりたいからといって、
雑に扱われたいわけでもない。

M男は、意外と相手を見ている。

この人になら預けられるか。
この人になら見られてもいいか。
この人になら、自分の情けない部分を
出しても壊されっぱなしにならないか。

本当に委ねるには、信頼がいる。

合意のない支配は、ただの暴力だ。
相手の気持ちを無視した命令は、ただの押しつけだ。
安全を考えない責めは、快楽ではなく危険になる。

だからSMにおける支配は、本来かなり繊細なものだ。

強く見える側ほど、相手をよく見ていなければならない。
支配する側が雑なら、M男は安心して落ちられない。
怖さの中に安心があるからこそ、男は自分を預けられる。

ここが、現実の支配とSMの支配の大きな違いだ。

現実の支配は、相手から自由を奪う。
けれど、合意されたSMの支配は、
相手に「自由でいなくていい時間」を与えることがある。

M男が女王様や責め手に惹かれるのは、ただ怖いからではない。
ただ偉そうだからでもない。
自分より上に立ってくれる存在だからこそ、
自分は安心して下に行ける。

見透かされる。
決められる。
従わされる。
逃げ場をふさがれる。

それでも心のどこかで、
「この人なら大丈夫」と感じている。

その信頼があるから、M男は自分をほどいていける。

M男は“弱い男”なのか、それとも“委ね方を知っている男”なのか

M願望には、たしかに逃避の匂いがある。

責任から逃げたい。
判断から逃げたい。
男らしさから逃げたい。
ちゃんとした自分から逃げたい。

その気持ちは、完全に否定しなくていい。

人は誰でも、逃げたい夜がある。
何もかも面倒になって、誰かに全部決めてほしいと思う瞬間がある。
「もう自分で頑張るの、疲れた」と言いたくなる日がある。

でも、M願望はただの逃げでは終わらない。

M男は、現実を捨てたいわけではない。
ただ、現実で背負っている自分を一度だけ脱ぎたいのだ。

上に立つ自分。
頼られる自分。
失敗できない自分。
余裕があるふりをする自分。
プライドで固めた自分。

その全部を、誰かの前で一度ほどいてもらいたい。

下になることは、負けることではない。
自分を降りることだ。

命令されることは、思考を奪われることではない。
考え続ける自分を休ませることだ。

支配されることは、価値が下がることではない。
信頼できる相手に、自分の一部を預けることだ。

そう考えると、M男は単に弱い男なのではない。
むしろ、普段の自分がどれだけ疲れているかを、どこかで知っている男なのかもしれない。

強がり続けることのしんどさを知っている。
決め続けることの重さを知っている。
ちゃんとした男でいることの息苦しさを知っている。

だからこそ、下になりたい。
だからこそ、命令されたい。
だからこそ、誰かに自分を預けたい。

M願望は、責任からの逃避“だけ”ではない。
責任を背負い続ける男が、自分を一度ほどいてもらうための欲望でもある。

そして、その欲望は案外、情けないものではない。

誰にも見せない弱さを、誰かの前でだけ差し出す。
普段は守っているプライドを、その場でだけ預ける。
自分で自分を支えるのをやめて、相手の声に身を任せる。

それは、M男にとっての贅沢だ。

「何もしなくていい」
「考えなくていい」
「強がらなくていい」
「ただ従えばいい」

そんな時間を与えられたとき、男はようやく、
自分の中の疲れに気づくのかもしれない。

M願望の奥にあるのは、壊されたい衝動だけではない。
そこには、誰かに預かってほしいという静かな甘えがある。

そして、その甘えを認められたとき、
M男は初めて、安心して“下”に落ちていける。

次回:“叱られたい男”は本当に反省したいのか

今回は、M願望を「責任からの逃避」という視点から見てきた。

では、その中でもかなり身近で、しかし妙に根深い欲望――
“叱られたい”という気持ちは、いったい何なのだろう。

叱られたい男は、本当に反省したいのか。
それとも、悪いところを見抜かれたいのか。
裁かれたいのか。
最後には、許されたいのか。

M男の心は、ただ責められたいだけでは終わらない。
次回は、そんな

「叱られたい男」の奥にある、見抜かれたい欲望

を覗いていく。

シリーズ「M男論」はコチラ

第一回
第二回
第三回
第四回
第五回
第六回
第七回

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