谷九ホテヘル&待ち合わせ 亭主関白

OPEN.10:00-LAST・年中無休

TEL.06-6777-7100

【連続コラム:M男論-第二回-】“叱られたい男”は本当に反省したいのか?見抜かれたいM男の心理

【連続コラム:M男論-第二回-】“叱られたい男”は本当に反省したいのか?見抜かれたいM男の心理

叱られるのは、普通は嫌なことだ。

大人になればなるほど、
誰かに本気で叱られる機会は減っていく。
学生の頃なら、先生に怒られた。
親に注意された。
先輩に詰められた。

でも社会に出ると、叱られる前に空気を読むようになる。
怒られないように先回りする。
失敗しないように整える。
責められないように言い訳を用意する。

大人の男は、叱られないための技術ばかり上手くなる。

それなのに、心のどこかで思ってしまう男がいる。

ちゃんと叱ってほしい。
逃げ道を塞いでほしい。
甘えを見抜いてほしい。
言い訳できないくらい、
自分のダメなところを突きつけてほしい。

いわゆる、叱られたい男。

では、その男は本当に反省したいのだろうか。

「すみませんでした」と頭を下げたいだけなのか。
自分の過ちを認めて、正しい人間になりたいのか。

もちろん、そういう部分もあるかもしれない。
でも、M男の心はもう少し面倒くさい。

叱られたい男が求めているのは、単なる説教ではない。
もっと奥にあるのは、見抜かれたいという欲望だ。

自分でも見ないふりをしている弱さ。
うまく隠しているつもりの甘え。
誰にも言っていないズルさ。
「ちゃんとしている男」の顔の下にある、情けない本音。

それを、誰かに見つけてほしい。
それも優しくではなく、逃げ場なく。
ごまかせない言葉で。
こちらの言い訳を全部潰すように。

叱られたい男は、反省したいのではない。
本当は、反省すべき自分を発見されたいのかもしれない。

叱られるのは嫌なはずなのに、なぜ欲しくなるのか

叱責には、痛みがある。

注意される。
間違いを指摘される。
甘さを責められる。
できていない自分を突きつけられる。

それはプライドに触れる。
大人の男にとって、叱られることはかなり恥ずかしい。

仕事ではそれなりにやっている。
人前では普通に振る舞っている。
自分のことくらい自分で管理できる顔をしている。

そんな男が、誰かに向かって、

「叱ってほしい」

と思ってしまう。

この矛盾が、すでにいやらしい。

なぜなら、叱られたい男は、
自分が大人であることを知っているからだ。
本来なら叱られなくてもいい年齢であることも、わかっている。
それでも、叱られたい。

その時点で、彼はもう少し負けている。
自分の中の幼さ、甘え、未熟さを、
完全には隠しきれていない。

そして、その負けをどこかで望んでいる。

叱られるというのは、ただ怒られることではない。
相手に自分の行動を見られ、判断され、
言葉で押さえつけられることだ。

「それは違う」
「甘えてる」
「逃げてる」
「本当はわかってるんでしょ」

そう言われた瞬間、男の中にある言い訳は一瞬止まる。

普段なら、いくらでも説明できる。
忙しかった。
仕方なかった。
自分なりに頑張った。
タイミングが悪かった。
悪気はなかった。

でも、見抜くような叱責の前では、
その言い訳が薄くなる。

そこで生まれるのは、恐怖だけではない。
妙な安堵もある。

「ああ、バレた」
「やっぱり、そこを見られた」
「そう、それを言ってほしかった」

叱られたい男の快感は、この瞬間にある。

叱られたい男は、すでに自分で自分を叱っている

叱られたい男は、
外から責められたいだけではない。

むしろ多くの場合、
彼はもう自分の中で自分を責めている。

「また逃げたな」
「本当はサボりたかっただけだろ」
「都合よくごまかしたな」
「情けないな」
「ちゃんとしろよ」
「お前は甘いんだよ」

そんな声が、頭のどこかにある。

普段は聞こえないふりをしている。
仕事をして、スマホを見て、酒を飲んで、
適当に笑って、なんとなく流している。

でも、その声は消えていない。

だから、誰かに叱られたとき、
ただ傷つくだけでは終わらない。
胸の奥で、変な一致が起こる。

自分の中にあった声と、相手の声が重なる。

「そう、それを言ってほしかった」
「やっぱり俺は、そこを見られたかったんだ」

叱られたい男にとって、
叱責は外から降ってくるものではない。
もともと内側にあった自己批判が、
相手の口を借りて形になるものだ。

だからこそ、効く。

ただ怒鳴られるだけではダメなのだ。
何も見ずに雑に責められても、刺さらない。
そこには快感よりも不快感が残る。

M男が求めている叱責は、もっと正確だ。

自分の中の弱点に届く言葉。
ごまかしている部分を拾う言葉。
本人が一番わかっているのに、
認めたくなかった部分を突く言葉。

たとえば、

「本当は甘えたいだけでしょ」
「いい子ぶってるけど、見てほしいだけでしょ」
「反省してるふりして、許されたいだけじゃないの」

そんなふうに言われたとき、男は傷つく。
でも、その傷はただの傷ではない。

見つけてもらった傷だ。

反省したいのではなく、“悪い自分”を見抜かれたい

叱られたい男は、
必ずしも「正しくなりたい」わけではない。

もちろん、反省の形は欲しい。
「自分が悪かった」と認める流れも欲しい。
頭を下げる理由も欲しい。

でも、それだけでは足りない。

彼が本当に欲しいのは、
自分の中の悪さを、相手に発見されることだ。

自分から白状するのではない。
相手に言い当てられたい。

ここが大事だ。

「俺、実は甘えてます」と自分で言うのでは、足りない。
「あなたは甘えてる」と言われたい。

「俺、逃げてました」と自分で認めるのでは、弱い。
「逃げようとしてるの、バレてるよ」と言われたい。

「俺、構ってほしかったんです」と差し出すのでは、恥ずかしさが足りない。
「叱られたいふりして、本当は見てほしいだけでしょ」と暴かれたい。

叱られたい男が求めているのは、説教ではない。
逃げ場のない理解だ。

理解といっても、優しい理解ではない。
「わかるよ」「つらかったね」と包まれるような理解ではない。

もっと鋭い。
もっと容赦ない。
逃げ道を照らすような理解。

「そうやって言い訳して、自分だけは悪くないって顔をするんだ」
「責められるのが怖いくせに、責められないと満足できないんだ」
「反省したいんじゃなくて、反省してる自分を見てもらいたいんでしょ」

こういう言葉は、痛い。

だが、M男にとっては、その痛さが嬉しい。
なぜなら、そこまで見られたかったからだ。

叱られる快感は、正される快感でもある。
しかし、それ以上に、隠していた自分を引きずり出される快感が欲しいのだ。

罪悪感と羞恥心が、叱責を甘くする

叱られたい男の心には、
罪悪感と羞恥心が混ざっている。

罪悪感とは、ざっくり言えば、
「悪いことをした」
という感覚だ。

約束を破った。
サボった。
嘘をついた。
逃げた。
人に迷惑をかけた。

これは行動に向かう。

一方で羞恥心は、もっと深いところに触れる。

「こんな自分は恥ずかしい」
「俺という人間が情けない」
「見られたくない自分を見られてしまった」

これは、自分そのものに向かう。

叱られたい男の欲望がややこしいのは、
この二つが絡み合っているからだ。

ただ「悪いことをしたから叱られたい」だけなら、まだわかりやすい。
謝ればいい。
反省すればいい。
次から気をつければいい。

でもM男の中には、もう一段深い欲望がある。

「悪いことをした俺」ではなく、
「悪いところを持っている俺」を見られたい。

「今回はダメだった」ではなく、
「俺はこういうダメさを持っている」と暴かれたい。

ここに、羞恥が混ざる。

そして、その羞恥はただ苦しいだけではない。
SMの文脈では、甘くなる。

なぜなら、恥ずかしい自分を見られても、
そこから逃げなくていいからだ。
むしろ、見られるためにその場にいるからだ。

日常で恥をかくのは嫌だ。
人前でミスを指摘されるのはつらい。
プライドを傷つけられるのは腹が立つ。

でも、信頼できる相手の前で、
自分の弱さを見抜かれるとき。
そこには、ただの恥とは違う熱が生まれる。

「バレた」
「見られた」
「逃げられない」

この感覚が、M男の中で快感に変わっていく。

叱責が甘くなるのは、その言葉が
自分の奥にあった罪悪感や羞恥心に触れるからだ。
ただ表面を撫でる言葉では足りない。
ちゃんと痛いところに届くから、甘い。

M男にとって叱責は、心の奥にある恥を、
エロい熱に変えるスイッチなのかもしれない。

叱責には、“関わられている”快感がある

叱られることは痛い。
でも、無視されるよりはずっと濃い。

ここにも、叱られたい男の本音がある。

どうでもいい相手なら、人はわざわざ叱らない。
少なくとも、きちんと叱るにはエネルギーがいる。

見る。
気づく。
言葉にする。
逃げ道を塞ぐ。
相手の反応を受け止める。

叱責とは、相手の視線が自分に刺さっている状態だ。

M男は、その刺さるような関心に酔うことがある。

「自分を見ている」
「自分に向き合っている」
「自分のダメさを放置していない」

その感覚が、どこかで嬉しい。

もちろん、ただ怒鳴られたいわけではない。
雑に責められたいわけでもない。
何も見ずに吐かれる暴言は、ただのノイズだ。

M男が欲しいのは、自分に向けられた言葉だ。

自分のために選ばれた叱責。
自分の弱さを見たうえで投げられる言葉。
誰にでも当てはまる罵声ではなく、
「俺のことを言っている」とわかる一言。

それが刺さる。

叱られたい男は、構ってほしいだけなのか。
そう見える部分もある。

でも、「構ってほしい」という言葉だけでは浅い。

彼が欲しいのは、軽い注目ではない。
雑な承認でもない。
ただ見られることでもない。

もっと強く、もっと深く、
もっと逃げられない形で関わられたい。

「お前のそういうところ、わかってるよ」
「ごまかしても無駄」
「ちゃんと見てるから」

そういう圧のある関心に、M男は弱い。

怒られているのに、安心する。
責められているのに、満たされる。
恥ずかしいのに、もっと見てほしくなる。

その矛盾こそ、叱責の快感だ。

罰されることで、ようやく許される準備ができる

叱られたい男は、叱られて終わりたいわけではない。

ここがまた面倒くさい。

責めてほしい。
でも、壊しっぱなしにされたくはない。
裁いてほしい。
でも、見捨てられたいわけではない。

叱責には、罪悪感に輪郭を与える力がある。

自分の中にあるモヤモヤした罪悪感は、
一人で抱えていると形がない。

何が悪いのか。
どこまで悪いのか。
本当に悪いのか。
ただ自分を責めたいだけなのか。

はっきりしない。

そこに、相手の言葉が入る。

「ここが悪い」
「そこが甘い」
「それは逃げ」
「それは許されない」

すると、罪悪感に形ができる。

漠然とした「俺はダメだ」が、
「ここを叱られている」に変わる。

これは、M男にとって大きい。

なぜなら、形のない自己嫌悪は終わらないからだ。
どこまでも自分を責められる。
何をしても足りない。
ずっとモヤモヤが残る。

でも、叱責によって罪悪感に形が与えられ、
罰によって区切りがつくと、少しだけ終われる。

「これだけ叱られた」
「これだけ責められた」
「これだけ罰を受けた」

だから、もう少し許されてもいいのではないか。

もちろん、これは現実の罪が消えるという話ではない。
あくまで、SM的な非日常の中での心理の話だ。

それでも、M男の中では確かに起こる。

叱責は、罪悪感に輪郭を与える。
罰は、その罪悪感に終わりを作る。

そしてその先に、許されたい欲望がある。

ここで言う「許されたい」は、
甘やかされたいとは少し違う。

「よくできました」と褒められる欲望とも、少し違う。

もっと静かで、もっと切実なものだ。

「ダメだ」と言われたい。
でも、そのあともそこに置いてほしい。

「悪い」と裁かれたい。
でも、裁いたあとに見捨てないでほしい。

「情けない」と言われたい。
でも、情けない自分のまま、相手の視界の中に残してほしい。

叱られたい男は、罰を求めているようで、
実はその先の沈黙を求めているのかもしれない。

叱られたあと。
言い訳が消えたあと。
悪い自分を認めさせられたあと。

それでも、相手がそこにいる。

その気配に、M男は救われる。

ただし、叱責と暴言は同じではない

ここで大事な線引きをしておきたい。

叱られたいからといって、
何を言われてもいいわけではない。

責められたいからといって、
雑に傷つけられたいわけではない。

Mだからといって、
相手の言葉を何でも
受け止めなければならないわけでもない。

叱責と暴言は違う。

叱責は、相手を見る言葉だ。
暴言は、相手を見ない言葉だ。

叱責には、狙いがある。
相手の甘えを見抜く。
逃げ道を塞ぐ。
その人の中にある弱さやズルさを、言葉で照らす。

一方で、ただの暴言は雑だ。
相手が誰でもいい。
傷つけることが目的になる。
言葉を投げた側の苛立ちをぶつけているだけになる。

M男が本当に欲しいのは、雑な攻撃ではない。

自分を見たうえで、叱ってほしい。
自分の逃げ癖を見抜いたうえで、責めてほしい。
自分の弱さに届く言葉で、逃げ場をなくしてほしい。

つまり、叱責にはある種の技術と信頼がいる。

合意のない支配がただの暴力になるように、
合意のない叱責もただの圧力になる。
相手の心を無視した言葉は、快感ではなく傷になる。

M男は、壊されたいのではない。
少なくとも、この第2回でいう
“叱られたい男”は、
壊されることを求めているのではない。

正されたい。
見抜かれたい。
裁かれたい。
そして、そこから逃げられない自分を味わいたい。

この違いは大きい。

第3回で扱う「罵倒されたい男」は、
もっと強い言葉、もっと破壊的な言葉に惹かれる。
しかし今回の叱責は、あくまで“正す言葉”だ。

叱る言葉は、正しく使えば、男の中にある言い訳を静かに殺す。

だからこそ、効く。
だからこそ、怖い。
だからこそ、甘い。

叱られたい男は、最後には見捨てられたくない

叱られたい男は、本当に反省したいのか。

答えは、半分はそうだ。
でも、半分は違う。

彼は反省したい。
ただし、それは正しい人間になるためだけではない。

自分の中にある悪さを、誰かに見つけてほしい。
甘えを言い当ててほしい。
逃げ癖を責めてほしい。
言い訳を潰してほしい。
自分でも嫌っている自分を、相手の言葉で形にしてほしい。

そして、できればそのあとも、見捨てないでほしい。

ここに、叱られたい男の一番人間くさい部分がある。

「ダメだ」と言われたい。
「甘い」と責められたい。
「情けない」と見抜かれたい。

でも本当は、その奥でこう思っている。

それでも、ここにいていいですか。
こんな自分でも、見ていてくれますか。
悪いところを知られても、
完全には捨てないでくれますか。

叱られたい男は、ただ責められたいのではない。
責められたあとも、そこに置いてもらえることを求めている。

だから、叱責には独特の温度がある。

冷たい言葉のようで、熱い。
厳しい言葉のようで、深く関わっている。
突き放しているようで、視線は離れていない。

M男は、その矛盾に弱い。

優しくされたいだけなら、
叱責である必要はない。

褒められたいだけなら、
怒られる必要はない。

ただ構ってほしいだけなら、
もっと楽な方法がある。

それでも、叱られたい。

なぜなら、叱責は自分の中の隠していた部分まで届くからだ。

褒め言葉では届かない場所がある。
慰めでは触れられない恥がある。
優しさだけでは暴けない甘えがある。

そこに、叱る声は入ってくる。

「わかってるよ」
「逃げなくていい」
「ちゃんと見てる」
「だから、言い訳しないで」

その言葉に追い詰められながら、M男はどこかで歓喜する。

見抜かれた。
逃げられない。
もう隠せない。
それなのに、相手はまだ自分を見ている。

叱られたい男の快感は、ここにある。

反省したいのではない。
ただ怒られたいのでもない。
自分の中の悪さを、弱さを、甘えを、ズルさを、
誰かの言葉で暴かれたい。

そしてその奥で、こんな願いを抱えている。

こんな俺でも、最後まで見ていてほしい。

それは情けない願いかもしれない。
子どもっぽい甘えかもしれない。
大人の男が口にするには、
少し恥ずかしすぎる本音かもしれない。

だからこそ、M男はそれを言葉にできない。

代わりに、叱られたいと思う。
怒られたいと思う。
責められたいと思う。

「俺を見てくれ」とは言えないから、
「俺を叱ってくれ」と願う。

その回りくどさ。
その面倒くささ。
その弱さ。

そこにこそ、叱られたいM男の、
どうしようもなく人間らしい色気がある。

次回:“罵倒されたい”男の心の中

今回は、「叱られたい男」の心理を覗いてきた。

叱られたい男が求めているのは、単なる説教ではない。
自分の中の甘えやズルさを見抜かれ、
言い訳を潰され、裁かれたうえで、
それでも見捨てられないこと。

では、もっと強い言葉を求める男はどうだろう。

正されたいのではなく、壊されたい。
見抜かれたいのではなく、汚されたい。
叱責では足りず、罵倒によってプライドを粉々にされたい。

次回は、よりフェチ色の濃い欲望――
“罵倒されたい男”の心の中へ進んでいく。

シリーズ「M男論」はコチラ

第一回
第二回
第三回
第四回
第五回
第六回
第七回

コラム一覧へ