目次
M男というと、責められたい男だと思われがちだ。
叱られたい。
罵倒されたい。
下に置かれたい。
プライドを壊されたい。
たしかに、それは間違っていない。
けれど、M男は壊されたいだけの男ではない。
責められ、耐え、下に落とされたあとに、
ふと欲しくなる言葉がある。
「よくできたね」
「偉かったね」
「ちゃんと耐えたね」
その一言で、崩れていた心が、甘くほどける。
M男は、責められたい男である。
でも同時に、褒められたい男でもある。
M男は、責められたいだけの男ではない
M男は、下に落とされることに惹かれる。
命令される。
叱られる。
罵倒される。
情けない姿を見られる。
男としてのプライドを崩される。
その瞬間、普段の自分から降りられる。
強がる自分も、余裕ぶる自分も、
ちゃんとした男の顔も、全部脱がされていく。
けれど、そこで終わりではない。
壊されっぱなしでいいわけではない。
落とされっぱなしでいいわけではない。
ずっと価値を奪われたままでいたいわけでもない。
M男の奥には、もうひとつの欲望がある。
壊されたあとに、拾われたい。
下に落とされたあとに、見つけてもらいたい。
耐えた自分を、ちゃんと認めてもらいたい。
責められる快感と、褒められる快感は、
矛盾しているようでつながっている。
落とされるから、拾われる言葉が甘い。
壊されるから、認められる一言が深い。
プライドを崩されるから、
「よくできたね」が心の奥まで染みる。
M男は、壊されたいだけではない。
壊されたあとに、拾われたい男でもある。
「よくできたね」は、M男にとってご褒美になる
人は、褒められると嬉しい。
仕事で成果を認められる。
頑張りを見てもらえる。
「助かったよ」と言われる。
「すごいね」と言われる。
それだけでも、心は少し満たされる。
でもM男にとって、
プレイの中で与えられる褒め言葉は、もっと濃い。
命令に従った。
逃げなかった。
恥ずかしさに耐えた。
責められても崩れきらなかった。
下に置かれることを受け入れた。
そのあとに言われる、
「よくできたね」
これは、ただの優しい言葉ではない。
耐えた自分に与えられる、甘いご褒美だ。
責められる時間が試練なら、
褒められる瞬間は報酬である。
M男は、責められることそのものにも興奮する。
でも、そこに褒め言葉が加わると、
責められた時間全体に意味が生まれる。
あの恥ずかしさは、無駄じゃなかった。
あの我慢は、見られていた。
あの従順さは、ちゃんと届いていた。
そう感じられる。
「偉かったね」
「ちゃんとできたね」
「逃げなかったね」
その言葉は、M男の中で小さな勲章になる。
褒められたい男は、見届けられたい男である
M男が欲しい褒め言葉は、
雑なお世辞ではない。
ただ持ち上げられたいわけではない。
なんとなく「すごいね」と言われたいわけでもない。
本当に欲しいのは、
見ていたよ
という承認だ。
叱られたい男は、
悪い自分を見抜かれたい。
褒められたい男は、
耐えた自分を見届けられたい。
ここは似ているようで違う。
第2回で見たように、叱られたい男は、
自分の甘えやズルさを暴かれたい。
逃げ道を塞がれたい。
自分でも見ないふりをしていた部分を、
言葉で突きつけられたい。
でも、褒められたい男が求めているのは、その先だ。
責められた自分を見ていてほしい。
従った自分を認めてほしい。
恥ずかしさに耐えた自分を、ちゃんとわかってほしい。
崩れた自分を、そのまま受け止めてほしい。
M男が欲しいのは、雑な賞賛ではない。
「ちゃんと見ていたよ」という承認だ。
だから、褒め言葉は具体的であるほど刺さる。
ただ「偉い」ではなく、
「逃げなかったね」
ただ「いい子」ではなく、
「ちゃんと言うこと聞けたね」
ただ「頑張ったね」ではなく、
「恥ずかしかったのに、よく耐えたね」
その言葉には、視線がある。
相手がちゃんと自分を見ていた気配がある。
M男は、その視線に救われる。
男は「褒めてほしい」と素直に言えない
大人の男は、褒められたいと言いにくい。
認めてほしい。
見ていてほしい。
頑張ったねと言ってほしい。
偉いと言ってほしい。
ちゃんとできたねと言ってほしい。
そんな本音は、口にすると少し恥ずかしい。
男なら、できて当たり前。
大人なら、耐えて当たり前。
仕事なら、結果を出して当たり前。
弱音を吐かずにやって当たり前。
そういう空気の中で生きていると、
男はだんだん「褒めてほしい」と言えなくなる。
でも、欲しくないわけではない。
むしろ、欲しい。
かなり欲しい。
でも、欲しいと言うのが恥ずかしい。
だからM男は、責められる。
耐える。
命令に従う。
下に置かれる。
そして、褒められる理由を作る。
M男は、褒めてほしいと言えない。
だから、責められることで
“褒めてもらうための理由”を作る。
これは、少し面倒くさい。
でも、かなり人間くさい。
「褒めて」と言うのは恥ずかしい。
でも、「ちゃんと耐えたから褒められる」なら受け取れる。
「認めて」と言うのはみっともない。
でも、「言う通りにできたから認められる」なら身を委ねられる。
大人の男が、素直に欲しがれない承認。
それを、Mの時間は少しだけ受け取りやすくしてくれる。
褒め言葉は、壊された自分を戻してくれる
第3回では、罵倒は
男のプライドを壊す言葉だと書いた。
言葉で服を脱がされる。
まともな男の顔を崩される。
余裕も、見栄も、プライドも剥がされる。
それは甘い。
でも、危うい。
壊される快感には、戻る場所が必要だ。
責める言葉が男を下に落とすなら、
褒める言葉は男を拾い上げる。
「よく耐えたね」
「偉かったね」
「ちゃんと戻っておいで」
その言葉で、M男は自分を回収する。
罵倒で崩れたプライドが、
褒め言葉で静かに包まれる。
叱責でむき出しになった弱さが、
褒め言葉で受け止められる。
下に落ちた自分が、
もう一度そこにいていいものとして扱われる。
褒め言葉は、M男にとって
“壊された自分を戻してくれる言葉”である。
責められっぱなしだと、
心が置いていかれることがある。
罵倒されっぱなしだと、
本当に自分がダメなものに思えてくることもある。
でも最後に、
「よくできたね」
があると、違う。
自分は壊されっぱなしではない。
落とされっぱなしではない。
ちゃんと見られて、ちゃんと拾われた。
そう思える。
この安心があるから、
M男はもっと深く落ちていける。
“いい子”扱いされる恥ずかしさと甘さ
大人の男に向けられる
「いい子」という言葉は、少しおかしい。
仕事をしている。
社会でやっている。
それなりに責任もある。
人前では普通の大人として振る舞っている。
そんな男が、プレイの中で、
「いい子」
「偉いね」
「ちゃんとできたね」
と扱われる。
普通なら、子ども扱いされているようで恥ずかしい。
男としてのプライドが少しざわつく。
でも、その恥ずかしさが甘い。
M男は、男として褒められたいだけではない。
ときに、従った存在として褒められたい。
自分で判断したから褒められるのではない。
言う通りにしたから褒められる。
自分の力で勝ったから認められるのではない。
負けることを受け入れたから認められる。
ここが、M男にとってたまらない。
大人の男に向けられる“いい子”という言葉は、
少し恥ずかしくて、かなり甘い。
それは、男を幼くする言葉でもある。
でも同時に、男を休ませる言葉でもある。
ずっと大人でいなくていい。
ずっと判断する側でいなくていい。
ずっと強がらなくていい。
ただ、従えばいい。
そして、ちゃんとできたら褒めてもらえばいい。
その単純さが、M男には深く刺さる。
罵倒と褒め言葉は、実はセットで効く
罵倒されたい。
でも、褒められたい。
一見すると矛盾している。
下げられたいのか、認められたいのか。
壊されたいのか、拾われたいのか。
価値を奪われたいのか、価値を与えられたいのか。
答えは、たぶん全部だ。
M男は、価値を奪われたい男であり、
同時に、価値を与え直されたい男でもある。
罵倒で下げられる。
褒め言葉で戻される。
叱責で見抜かれる。
褒め言葉で受け止められる。
支配で自由を奪われる。
褒め言葉で、そこにいていいと許される。
この往復が、M男の快感を深くする。
ずっと褒められているだけでは、物足りない。
ずっと罵倒されているだけでは、心が置き去りになる。
落とされて、拾われる。
下げられて、認められる。
壊されて、戻される。
この落差が甘い。
「お前は情けない」と落とされたあとに、
「でも、よく耐えたね」と拾われる。
「男としてダメ」と崩されたあとに、
「ちゃんとできたね」と認められる。
その瞬間、M男の中で何かが満たされる。
責められたい欲望と、褒められたい欲望は、反対ではない。
むしろ、同じ快感の表と裏なのかもしれない。
M男の褒められたい欲望は、弱さではなく回復である
褒められたいという欲望は、
少し子どもっぽく見える。
大人の男が、
「偉いって言ってほしい」
「よくできたねって言ってほしい」
「いい子にしてたって認めてほしい」
と思っている。
そう考えると、少し恥ずかしい。
でも、その恥ずかしさごと、M男の本音なのだ。
M男は、責められたい。
でも、責められたまま放っておかれたいわけではない。
M男は、壊されたい。
でも、壊れたまま捨てられたいわけではない。
M男は、下に落ちたい。
でも、落ちた自分を誰にも見てもらえないのは寂しい。
だから、褒め言葉が必要になる。
「よくできたね」の一言で、M男はようやく、
自分が壊されっぱなしではないとわかる。
「偉かったね」の一言で、
耐えた時間が報われる。
「ちゃんとできたね」の一言で、
従った自分が意味を持つ。
「いい子だったね」の一言で、
大人の男の中に隠れていた甘えが、少しだけ許される。
M男にとって褒め言葉は、甘やかしではない。
責められた自分を回収するための言葉だ。
そして、その回収があるから、M男はまた深く委ねられる。
責められても大丈夫。
壊されても戻れる。
下に落ちても拾ってもらえる。
そう感じられる相手の前でだけ、M男は安心して崩れていける。
本当は、褒められたい。
でも、自分からは言えない。
だから、責められる。
耐える。
従う。
そして最後に、相手の口からその言葉をもらう。
「よくできたね」
その一言のために、M男はまた下に落ちるのかもしれない。
壊されたい。
でも、拾われたい。
貶されたい。
でも、認められたい。
下げられたい。
でも、最後には見ていてほしい。
その矛盾こそ、M男のかわいさであり、
面倒くささであり、どうしようもない色気でもある。
次回:“ダメな男でいたい”という甘い退廃
今回は、M男の「褒められたい」心理を見てきた。
M男は、責められたいだけではない。
責められ、耐え、壊されたあとに、
褒め言葉で拾い上げられたい男でもある。
けれど、M男の中にはもう一段、
甘くて危うい欲望がある。
褒められて戻るだけではなく、
いっそ、ダメな男のままでいたい。
情けない自分に浸りたい。
未熟なまま甘えたい。
立派な男をやめて、弱い自分のまま沈んでいたい。
次回は、そんなさらに深いM男の退廃、
“ダメな男でいたい”という甘い退廃
へ進んでいく。

